高知の里山で庭を考える|平屋私庭日記#35
明けましておめでとうございます。本年も平屋私庭日記をよろしくお願い致します!
年末年始は妻の実家がある高知県四万十市や、妻の祖母がいる吾北という山間部で過ごしました。高知はスケールが違うとよく耳にしてたけれどほんまに規格外の植物や地形だらけ。これだけ大きいものを標準として見て育った妻と、その肝っ玉の大きさがリンクし納得した機会でした。
まずは四万十へ
高知は太平洋に面していて、その中でも四万十市は関西より九州の方が近い。大阪からだと車で6〜7時間かかる。大阪から横浜に行くのと変わらない距離だからけっこう遠い。
地図で見てもやはり関西より九州の方がはるかに近い。そして交通機関がまだまだ整っていないこのエリアは、今の時代の秘境の地なのかも知れない。(失礼な言葉だったらごめんなさい。。)
車で走っていると植物は常緑樹が多く落葉樹の割合がものすごく少ないし、枝ぶりはゴツゴツとしてて雪の影響なんて全くない姿をしていた。
暦では真冬なのに、暖かい秋のような気持ちになってしまうくらいで南国感がある。
祖母の暮らす場所
正月三ヶ日は妻の祖母が暮らす高知県吾北で過ごした。
妻が「ものすごい田舎だから」って言っていた通り、山路をけっこう走りいくつかの山を越えた先に祖母の家はあった。そこはリゾートホテルにしてもいいくらい素晴らしい景色が広がるところだったなぁ。
車をとめて最初に目にした景色。久しぶりに見とれてしまうものを見た。
こんな山奥で一人暮らしをするには、相当な生きる気持ちが必要だと思う。都会で暮らしていると徒歩圏内にコンビニ・スーパー・飲み屋・クリーニング・パン屋・ガソリンスタンド・郵便局・駅などなど何でも揃っている。ちょっと気を抜いてたって忘れ物したってライフラインはすぐそこにある。
そんな都会の常識がここでは通用しない。この言葉があってるか分からないけれど「生きていこう。と腹をくくらないと生きていけない」そんな場所である。
そんな祖母は僕を暖かく迎えてくれて、家族とコタツでわいわい過ごす新年の始まりだった。
半径50M圏内
朝になって外を散策することにした。ここは山の傾斜に佇む住まいと田畑、傾斜を平らにするために、たぶん開拓時にでてきた石で石垣を設けてる。職人が作ったというより、村の方々で作ったのであろう創作感がある。荒々しさの残る積み方がいい。そしてその開拓時に出てきたであろう大きな岩はそのままに地割を決めている。
大きなものには逆らわず寄り添い、あるものを使って整える。この地の暮らしの姿勢が伝わってくる。
祖母の田畑では暮らしていく上で必要なものを必要な分だけ育てていた。
そんな中に茶畑があった。春になると新芽を摘んで近く方にお茶っ葉にしてもらっているという。今朝いただいたお茶もお餅も半径50M圏内で作られたもの。
今の時代にこれだけ信用できる食べ物はなかなか出会えないだろうなって思いました。
庭の木と里山と暮らし
そんな祖母の自宅周りにも植木があって庭があって裏には里山が広がっている。
イノシシ除けの馬酔木、高知名産の栗の木、しいたけ栽培や薪用のコナラ、敷物のバショウ、、生活に必要な樹木植物たちを植えていた。
高知らしくどれもめちゃくちゃ大きいサイズだった。なんで高知はこんなにも植物体が巨大なんだろう?5メートルを軽く超える西洋シャクナゲを見上げた時は圧巻だったなぁ。
裏に広がる里山には蜂箱やしいたけ用のコナラなどを見かける。庭の業界にいると里山という言葉をよく耳にするけれど、実際に活用されている場を見たのは初めてだった。
景観ではなく必要だからある景色が広がっている。そんな暮らしの基本のきを改めて教えてもらった気がしました。
最後に
年末年始を高知で過ごしたことで、モノをつくる庭師だからこそ考えさせられることがたくさんあった。
なぜ庭をつくるのか?暮らしとはなんなのか?そんな答えのない問いが頭の中でかけめぐる。
当たり前だけど生活の為に石垣があって必要な草木を植えて、ハチ箱にキノコの丸太など里山を活用してる。そして、大きなものには逆らわず歩み寄る。庭やモノをつくって行く上で必要なアプローチ方法や視点を改めて教えて貰った時間になった。お正月からいい経験できてるなぁ。
祖母が庭先で摘んだお茶に収穫した餅米のお餅をいただいて、ほっこりしたお正月が忘れられない。
定点写真#35。平屋の庭は静かな時間を過ごしている。コーヒーの木は日本の冬を越えられないっていうけれど、軒下であれば大丈夫という結果が出そうだな。
園園. 庭師 中山智憲
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