自分のしたことを忘れてしまうのは、なぜ?「ミステリーバス」@認知症世界の歩き方
認知症のある方の心と身体には、どんな問題が起きているのでしょうか? いざこういうことを調べてみても、見つかる情報は、どれも医療従事者や介護者視点で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。
この大切な情報を、多くの人に伝えたいと思い、書籍『認知症世界の歩き方』から1話ずつ、全文公開いたします。興味を持っていただけましたら、お近くの書店やAmazonでお買い求めいただけるとうれしいです。
行くあてのないバスから、あなたは降りられるか?
認知症世界。この世界には、乗り込んでしばらくすると、記憶をどんどん失ってしまい、行き先がわからなくなる不思議なバスがあるのです。
この世界の玄関口・ディメンシア港の前に、旅人ならだれもがお世話になる島内周遊バスが停まっています。さぁ、旅の始まりです。
順番に乗り込み、バスが出発し、窓の外を見ていると……たちまち「あれ、ここどこ?」「なんで乗ってるんだっけ?」「どこから来たんだっけ?」と、だれもが首を傾げることに。
実はこのバス、これまでの道のり(過去)、現在地(今)、旅のプラン(未来)が全部わからなくなってしまう、不思議な乗り物だったのです。
「もの忘れ」と「記憶障害」は、
どう違うのか?
人の記憶とは、そもそも曖昧なものです。
さっき見聞きしたばかりのことを覚えていられなかったり、予定を忘れてすっぽかしてしまったり、使い慣れた単語が口から出てこなかったりする経験は、だれにでもあるはずです。
これらは、一般的に「もの忘れ」と言われるもの。認知症の代表的な症状の1つに「記憶障害」がありますが、そもそも「記憶に障害がある」とは、どういう状態なのでしょうか? 「もの忘れ」とは、どこが違うのでしょうか?
(旅人の声)
慣れない旅行先で電車やバスに乗ると、自分が今どこにいるのかわからず、不安になり、降りる場所をたびたび確認してしまうことってありませんか? 最近のわたしにとっては、それが日常のことなのです。
「降りるバス停を通り過ぎてしまわないように……」と、集中してバスに乗るようにしているのですが、頻繁に不思議な体験をするようになりました。
ある日、通勤のためいつものバス停から、いつもの時間のバスに乗り込みました。もちろん通い慣れた経路なので、降りるバス停はよくわかっています。
会社までは20分程度なのですが、その日は疲れていたのか、バスに揺られているうちに少しぼーっとしてしまいました。
ふと我に返ったとき、今、自分はどこにいるか、どこに向かっているのか、どこから来たのか、わからなくなってしまいました。つまり過去も、現在も、未来も、すべての記憶が突然、すっぽりとなくなってしまったのです。
「外の風景や建物を見れば思い出すだろう」と思って、窓の外をキョロキョロ見回しますが、何を見てもまったく思い出せません。それどころか、見たこともない初めての場所に来てしまったようです。いったい、このバスはどこに向かっているの……!?
いくつものバス停を通り過ぎ、周りの乗客も次々と降りていきます。しかし、わたしはどこで降りるべきか最後までわからず、そのままバスは終点まで行ってしまいました。
終点で親切な運転手さんと話しているうちに、「定期券を持っているはずだ」ということになり、それを見て、ようやく自分の目的地がわかりました。
それから折り返しのバスに乗り、大幅な遅刻でしたが、なんとか会社にたどりつくことができました。
「会社に向かっていた自分」
そのものを忘れる
「降りる場所」だけでなく、そもそも「会社に向かっていたこと自体」を忘れていた。これが、記憶障害の特徴です。たとえば、「3月3日18時〜友人と食事をする」と約束した。しかし、その日は朝から仕事で忙しく、19時に友人からの電話で約束したことを思い出す。これは「もの忘れ」です。
一方、19時に友人から電話を受けても約束したことすら思い出せない。これが「記憶障害」です。
一般的なもの忘れは、「覚えていたときの自分」を思い出すことができます。しかし、記憶障害の場合は、「自分が考えていた・行動した」こと自体を忘れてしまうことが多いようです。
自分の手帳に予定が書き込まれていても、約束したことも書き込んだことも思い出せないので、その予定が本当なのか確証を持てない、などということも起こります。
(旅人の声)
妻と一緒にバスに乗っていたとき、運転手さんが「次は、浅草〜浅草〜。次は浅草に停まります」と、3回もわたしが降りるはずの行き先をアナウンスしました。「ふ〜ん、次は浅草か」とは思ったのですが、まさか自分が降りるバス停だとはまったく気がつきませんでした。 このときは、妻が降車ボタンを押してくれたので特に問題はありませんでしたが。
そうそう、その後1人で乗ったときには降りそこねないように……と、1つひとつバス停を確認しながら乗っていました。そのおかげか、道中忘れることもなく順調な道のりでした。
そして、いよいよ次がわたしの降りるバス停。「よし! 降りるぞ!」と意気込んで、バスの降車ボタンを押そうとしました。……ところが、なぜか自分の手が、目の前に見えているボタンに向かって伸びていかないのです。頭ではボタンを押そうとしているのに。魔法にかけられたように……まさにミステリー。
結局、ボタンは押せないまま、無情にもわたしの目の前をバス停が過ぎ去っていきました。
「降りる場所を絶対に忘れまい」という緊張感で脳が疲れ切ってしまい、「ボタンを押す」という指令が、手にまで届かなかったのかもしれません。
そんな、なんとももどかしい思いをして以来、わたしは乗るバス停と降りるバス停を書いたメモをパスケースに入れ、首からかけて通勤することにしました。そこには、「認知症のため、困っているときは手助けをお願いしたい」ということも書きました。
今では、行き先がわからなくなったときには、まず自分でパスケースを見て、行き先を確認します。それでもわからないときには、メモを見せながら「ここまで行きたいのですが」と周囲の人に尋ねます。
すると「それならあと、2つ先ですよ」などと教えてくださり、そのあと「次のバス停ですよ」と言って、降車ボタンまで押してくれる人もいます。
ちょっと人見知りなわたしでも、メモを見せながら話すと声をかけやすいですし、だれも変な目で見ることはなく、親切に教えてくれます。
バスや電車から
降りられなくなる理由
バスや電車から降りられなくなる背景には、思い出すという「記憶のプロセス」のどこかに問題を抱えていることが考えられます。記憶に障害がある=「記憶のプロセスに障害がある」ということなのです。
では、記憶とは、どのような仕組みなのでしょうか? わかりやすく、学校のテスト勉強で考えてみましょう。科目は日本史です。
「卑弥呼=邪馬台国の女王」。
わたしたちは、こうした知識・情報を頭の中に取り込み(記銘)、その知識をテストまで蓄え(保持)、テストでその問題が出たときに取り出して(想起)、解答します。
この記銘 → 保持 → 想起の一連のプロセスのことを「記憶」と呼びます。
バスや電車から降りられなくなってしまうのは、このプロセスの一部、もしくは複数の部分に、以下のようなトラブルを抱えるためです。
1つ目は、行き先の情報がきっちり「記銘」できていないトラブルです。目で見たり耳で聞いたりしても、情報が頭を通り抜けてしまったり、自分が記憶できるかたちに変換できず、頭の中に入らなかったりするのです。
電話で「しんじゅくで待ち合わせ」と聞いたとき、多くの人は、「しんじゅく=新宿=山手線の駅周辺にある繁華街」という意味を持つ情報に変換します。これができなければ、ただの音の並びでしかないのでうまく頭の中に入りません。
さらに、「新宿=待ち合わせ場所」という情報も、ともに記銘される必要があります。「新宿」だけ覚えていても、それが何の情報なのかわからないと使うことができないからです。
2つ目は、必要な情報を「保持」できていないトラブルです。バスの路線番号や駅の出口の数字って、一度覚えたと思ってもすぐに忘れてしまいますよね。そんな感覚です。
3つ目は、きっかけがあっても情報を「想起」できないトラブルです。保持された記憶を想起するには、何かのきっかけが必要です。バス停の名前がわからなくなっても、車内アナウンスを聞くと思い出すことってありますよね。
しかし、「『ふ〜ん、次は浅草か』とは思ったのですが、まさか自分が降りるバス停だとはまったく気がつきませんでした 」というエピソードが示すように、認知機能の障害により、その仕組みが正常に機能しないことがあります。
最後は、記銘→保持→想起の一連の流れの後の「行動」のトラブルによるものです。「降りる場所はわかっているのに、なぜか自分の腕がボタンに向かって伸びていかない」というエピソードのように、考えや意思の通りに身体を動かすことが難しい場合があります。
(旅人の声)
単に「忘れっぽい」では片づけられない出来事は、移動中だけでなく、実は日常的に起こります。
ある日、夕飯の準備をしようとしたときのこと。今日は何をつくろうかと冷蔵庫を開けました。すると、ひき肉があったので「これを使おう」と思ったのですが、まったくメニューが思いつかないのです。もともと料理好きだったこともあって、レパートリーは、ハンバーグや麻婆豆腐など、いろいろあるはずなのに……。このときは、頭に何ひとつ料理が浮かんでこなかったのです。
知っているはずのメニューが
思い出せなくなる理由
これまでにつくったことがある料理の情報は、脳の中のどこかにおそらく保持されてはいるでしょう。しかし記憶は、書店の本棚のように見つけやすくジャンル分けされているわけではありません。
いつもなら、冷蔵庫を開けて目にした「ひき肉」という検索ワードをきっかけに「ハンバーグ」や「麻婆豆腐」という情報を想起できるのですが、認知機能の障害により、検索ワードと欲しい情報を結びつけることが困難になり、メニューが思い出せなくなるのです。
一方で、「ひき肉」を見て思い出せなくても、手でこねているうちに肉の手触り(触覚)・匂い(嗅覚)がきっかけとなって、「ハンバーグ」や「ミートソーススパゲティ」、「そぼろ丼」といった料理を想起できることもあります。
つまり、「知っているはずのメニューが思い出せなくなる」「バスや電車から降りられなくなる」どちらの困りごとの背景にも、「知識・情報あるいは体験や行為を記憶(記銘・保持・想起)できない」という同じ記憶の障害があるのです。
次ページには、このストーリー内にアイコンの形で登場した「心身機能障害」と、その障害が原因と考えられる生活の困りごとを一覧にしてまとめています。ご自身や家族、周囲の方の困りごと・生活環境を振り返る参考にしてみてください。
10月17日、出版記念イベントを
開催します。
認知症当事者の声を聞ける貴重な機会です。ぜひ。