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【はじめに全文公開】糸井重里、泣き笑い。満身創痍で爆笑を投げ続けた37日間

『もうあかんわ日記』岸田奈美(ライツ社)2021/5/31発売

もうあかんわと思っている、すべての人へ。いろいろ大変なこのご時世に、悲劇を喜劇に変えていく勇気をひとりでも多くの人に届けたいと思い、岸田奈美さんの思いが込められた「はじめに」を無料で全文公開いたします。興味を持っていただけましたら、お近くの書店やAmazonでお買い求めいただけるとうれしいです。

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「もうあかんわ日記」をはじめるので、どうか笑ってやってください

「いま神戸市北区の実家にいるよ。母のお見舞い行ってくる」
 写真を撮って、東京にいる友人に送った。
 返ってきたのは。
「眉毛は?」
の一言である。

 眉毛がない。うっすらとあるけど、いつものように描いてないし、髪と同じ色に合わせてない。つまりはすっぴん。東京では考えられない。
 いいよね、慣れ親しんだ田舎の地元って。こうやって気軽に外出できるし、メイクする手間もないし。楽だわ。ここで、丁寧な暮らしをしよう。
 んなわけ、あるかい。
 丁寧な暮らしをしてるんじゃなくて、眉毛を描いたところで、この町ではだれもわたしの眉毛などに興味をもってくれないのである。
 ごめん。「神戸といわれてみんなが想像する海沿いのおしゃれな町」とは似ても似つかない、山と田んぼに囲まれている神戸市北区を、ディスってるわけではないよ。だから、神戸市北区の民たちは、振り上げたクワやらカマやらを、いったん降ろしてほしい。
 いいところもある。イオンが隣町にできたとか。山を抜けて三宮へ向かう電車の切符が、2駅区間550円(日本一高い)だったときは口汚くディスりまくったが、それも市営化で280円までに下がったとか。
 正確には、わたしのごく近しい生活圏内にかぎって、だれもわたしに興味をもってくれない。

 たった三十七日の間に、いろんなことがあった。ありすぎた。

 一言でいうならば、いままで見て見ぬフリをして、だましだましかわしていた問題が一気に噴出した。天から兵糧攻めをくらっている。
 はじまりは、いつまで経ってもよくなる気配のない、母の微熱だった。
 あれよあれよという間に悪化していき、「心内膜炎」という名前がついたと思えば、「死ぬかもしれんよ」といわれる手術が始まった。
 しかし、その母の入院により、ばあちゃんと弟と、2匹の犬が住まう実家の留守をわたしが預かることになった。
 いわゆる一国一城の主だが、この城はちゃんちゃんばらばら、謀反と天災だらけで。であえ、であえ。いや、であわんといてくれ、殿中であるぞ。実家やぞ。

 もともと、ちょっともの忘れが出てきたなあ、くらいに思っていたばあちゃんが、なんか、一気にやばいことになった。
 ばあちゃんの頭のなかでは、母の入院はなかったことになり、わたしは中学生になったり大学生になったりした。学生の本分は勉強ということで、部屋で仕事でもしていようもんなら、「寝なさい!」とはげしく怒って突撃してくるようになった。ビデオ通話で打ち合わせをしているたびに突撃してくるので、いつしか突撃は「おばあチャンス」と呼ばれるようになった。冷蔵庫にあるすべての食材を、魔女のごとく大鍋で煮込み、ソースまみれにするか、腐らせた。
 ばあちゃんに悪気はない。タイムスリップしているだけだ。母のいない間、孫を預かっているからと、優しい責任感で突き動かされている。にしても、このままだと落城してしまうので、ばあちゃんが使える福祉のサービスをあわてて調べることになった。

 弟は生まれつきダウン症だけど、身のまわりのことはだいたい自分でできる。なので穏やかだったのだが、ばあちゃんがやばくなったので、つられてやばくなってしまった。
 タイムスリップして忘却の彼方へ飛んでいくばあちゃんの変化についていけず、怒ったり、泣いたり、情緒が一本下駄を履いてしまったのだ。わたしのようにバリエーション豊かな抗議と屁理屈の言葉を持っていない彼は、言葉にならないもどかしさで、悔し涙を目尻にため、顔を真っ赤にしてドスンドスンと床を踏み鳴らした。
 ドスンドスンの拍子に、リビングでガタついてる扉が割れてしまった。温厚な弟は音と破片にショックを受け、片づけながらぽろりと涙を流した。
 そろそろ弟も、グループホームなどを利用して、自立のときが迫っていたので、この機会にばあちゃんと離そうと考えた。

 戦略的一家離散というわけだ。

 思いついたはいいが、この奇策は想像以上にあかんかった。
 福祉のサービスに頼ろうとしたものの、手続きが、めちゃくちゃ大変。
 体力と精神力がバーゲンセールの品物のごとく、片っぱしから奪い去られていく。なんでそんな仕組みになってんねんと叫び出したくなるくらい、果てしなくめんどくさい。
 ついさっきも、
「正式な手続きをする前の、仮の手続きをするための、念のための挨拶」
という名目で、わけもわからず仕事を断り、半日時間を空けた。
 担当してくれる人は、ほとんどいい人で、たまに首をかしげたくなるくらいずっと機嫌の悪い人もいる。その差がまた、しんどい。
 でも大丈夫、大丈夫。
 これを乗り切れば、ばあちゃんと弟のことは、ひと安心だから。
 そう思っていたら、めったに鳴らない実家の固定電話が鳴った。フラグを立ててはいけないことを学んだ。
 10年以上入院していたじいちゃんが、ぽっくり亡くなったという知らせだった。
 なにがなんやらわからないうちに、気がつけば、家のどこにも見当たらない喪服の代わりを探し、夕方の町を駆け抜けていた。

 そのまっただなか、なぜか洗濯機と掃除機と電子レンジが、いっぺんに壊れた。「俺たちはもうここまでかもしれん」という、静かなる断末魔の叫びが聞こえた気がした。
 タイムスリップしたばあちゃんは、なぜか「犬があまり好きではなかった」というホコリまみれの記憶をもいまさら引っ張り出したらしく、急に犬たちを追いまわすようになった。ストレスなのか、仕返しなのか、犬たちもおしっこを撒き散らして応戦を始めた。掃除で1日が終わっていく。
 手術が成功して命が助かっても、母は3ヶ月は安静で、1年は働けないだろうということだった。家計を担うのは、わたししかいない。
 書く手を、歩く足を、止めてはいけない。止めると、ライフラインが止まる。

 父はすでに亡くなっている。わたしが中学生のとき、急性心筋梗塞だった。
 母は十数年前にも一度、「大動脈解離」という病気で倒れ、生死をさまよったことがある。運よく命は助かったが、後遺症で下半身が麻痺し、車いすユーザーになった。
 いろいろあったけれど、そのいろいろを経験して、そのあとは穏やかに家族で仲良く暮らした。わたしは昨年、会社員を辞め作家として独立し、東京でせせこましく活動していたのだが。
 現代社会のいろいろな問題が、かっぱ寿司の寿司特急に飛び乗って、わたしのもとにやって来た。
 やめてください。注文してません。寿司を食わせてください。 
 ひとつひとつ、問題をクリアしていっても。息も絶え絶えなところで、さらにでかい問題が立ち塞がり、気力がスリの銀次に持っていかれる。

「もうあかんわ」 
 心から思った。
 だけど。もうあかんくなっても、1人。

 よく、介護のパンフレットの表紙なんかには、祖父母に優しく笑いかけている写真が載っている。
 あんな笑顔、できるかいな。少なくともわたしには。
 愛する家族だから、一緒に住んでいるから、笑いかけられないのだ。
 どんだけがんばって、心穏やかに接しても、ばあちゃんはすぐに忘れてしまうし。弟は言葉のすべてをわかってくれるわけじゃないし。母には心配かけられないし。
 そのうち、家族と話すのがつらくて、わたしは北側のおそろしいほど寒い部屋にひきこもるようになった。 
 なにが悲しいって、どんだけしんどいことが起きても、わたしの話で笑ってくれる人がだれもいないこと。
 かのチャップリンは、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言った。
 わたしことナミップリンは、「人生は、ひとりで抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」と言いたい。
 みんなも心当たりがあるだろう。悲劇は、他人ごとなら抜群におもしろい。

 ユーモアがあれば、人間は絶望の底に落っこちない。

 常々そう思っていたけど、気づいたのは、ユーモアは出演者に向けることはできない。ばあちゃんと弟にユーモアで話しても、なんも通じないし。ユーモアがかっぱ寿司の寿司特急のごとく、すべっていくだけだし。
 悲劇を喜劇に変えるためのユーモアは、出演していない観客、つまり、これを読んでいるあなたたちにしか向けられない。
「やばすぎ、ウケるわ」「ばあちゃん、どないしてん」
 理不尽なこの日々を、こうやって笑い飛ばしてもらえたら、わたしはそれで救われる。同情はいらない。やるべきこともぜんぶわかっているので、家に駆けつけて手伝ってほしいわけでもない。
 ただ、笑ってほしい。悲劇を、喜劇にする、一発逆転のチャンスがほしい。
 心のどこかでわたしは、「たしかにしんどいけど、これはこれで、おもしろいよな」って思っているのだ。数年後には笑い話になると信じているのだ。そういう明るい自分を、わたしは見失いたくない。
 でも、このまま1人で抱えとったら、もうあかんわ。

 そんな経緯で始めたのが、この『もうあかんわ日記』だ。
 読んでくれる人がいるだけで、語る意味ができる。悲劇を書けば書くほど、喜劇になっていく。
 もうあかんので。あかんくなる前に、助けてほしくて、書き続けた。ネットという大海の、note(ノート)という孤島で、名前も顔も知らない人たちに「夜9時になったら、毎晩ここで集合」と伝え、公開し続けた。
 いま読み返しても、こりゃもうあかんわ、と1人でつぶやきたくなる。
 でも、書くことでわたしはたしかに、救われていた。
 だれかに笑ってもらいたくて書いた日記は、だれよりわたしが笑うための大切な作業になった。

 もうあかんわと思っている、すべての人に。
 わたしのもうあかん毎日を、小さく高らかに捧げたい。

 もうあかんわ。

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