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もし世界から、「言葉」も「記号」もなくなってしまったら、あなたはどうしますか?

認知症のある方の心と身体には、どんな問題が起きているのでしょうか? いざこういうことを調べてみても、見つかる情報は、どれも医療従事者介護者視点で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。

この大切な情報を、多くの人に伝えたいと思い、書籍『認知症世界の歩き方』から1話ずつ、全文公開いたします。興味を持っていただけましたら、お近くの書店やAmazonでお買い求めいただけるとうれしいです。

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言葉も記号もない世界で、あなたはどう生きていく?

認知症世界。この世界には、わたしたちが当たり前に使っている言葉や記号といったものが存在せず、注文方法が常識とはまったく異なる名店があるのです。

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ここは、知る人ぞ知るレストラン。この店では、料理の名前を表す言葉が存在しないため、みんな「あれ!」「それ!」と言って注文します。そして、出てくる料理は、和食とも中華ともフレンチとも言いがたい、なんとも表現できないもの。

また、味を表す言葉は「やばゐ!」の一言。どんな料理を食べても、みんな口々に「やばゐ!」と満面の笑みで話しています。わたしも食べてみると、「やばゐ!」以外の言葉が頭にまったく浮かびません。まさに筆舌に尽くしがたい体験です。

生活から言葉や記号が消えるって
こんなに不便だったのか!

わたしたちは、あらゆるモノ・コトに対して言語という記号をつけ、他者と共有することで、コミュニケーションをとっています。

たとえば、言葉を覚えたての幼児にとって、自動車は「ブーブー」ですが、大きくなるにつれて「車」、「自動車」と呼び方は変化していきますよね。

次第に自動車の中でも、自家用車・消防車といった用途、電気自動車・ガソリン車といったエネルギー源の違いを示すために、異なる記号(名称)をつけ、ジャンル分けしていきます。

しかし、言葉という概念は、実は曖昧なものです。

車は、英語では「car」。中国語では「汽車」と呼びます。ただし、「汽車」は日本語だと「鉄道」を意味しますよね。

海外へ旅行に出かけると、このように言葉の持つ意味が違ったり、場合によって伝えたい意味を表す言葉が存在せずに困ったりすることが多々あります。

では、もしそのような状況が日常でも起きてしまうとしたら?

(旅人の声)

わたしは最近、自分が長年培ってきた言葉の概念が揺らぐような出来事を、よく経験するようになりました。

ある日、10年以上使ってきた炊飯器が壊れてしまい、買い換えることにしたのです。わたしはちょっぴり機械音痴なところがあるので、一番使い方がシンプルなものを選びました。

家に帰り、さっそく夕飯の準備のため、お米を研ぎ、炊飯器にセットしたそのときです。「あれ?」。炊飯器に3つあるボタンのうち、どれを押せばいいのかわからなくなってしまったのです。

目の前には、「炊飯」と書かれたボタンが確かにあるのですが、どうも「炊飯=ごはんを炊くこと」と、うまく頭の中で結びつかないのです。おそらく、以前の使い慣れた炊飯器は、手がボタンの場所を覚えていて、無意識に押していたのでしょう。

また、あるときはスーパーでマヨネーズを探すことができず困ってしまいました。店内の棚は、調味料、香辛料、乳製品などに分類されているのですが、マヨネーズが調味料の1つであることがピンと来ず、その棚にあるとはどうしても思えなかったのです。

こんなふうに、言葉と具体的なイメージが結びつかない出来事は、ほかにもあります。

学生時代の友人から同窓会のお誘いメールが届きました。そこには、「新橋駅で待ち合わせね!」と書いてありました。「新橋……って、どんなところだったっけ?」と、わたしの中で、いろいろなイメージが頭を駆け巡ります。学生が多い街? おしゃれな街だっけ? それとも閑静な住宅街……? いろんな想像をしながら着いた新橋は、わたしのイメージとはまったく違いました。

実はこんな出来事が時々あるのですが、まあ、初めての場所に来たような驚きが何度も味わえて楽しいかな! と思っています(笑)。

「調味料」と書かれた棚から
マヨネーズを見つけられない理由

「調味料」という言葉の中には、砂糖・塩・胡椒などいくつかの種類のものが含まれています。わたしたちは、それらにまとめて「調味料」というラベルをつけて分類しています。ただし、その分類が意味することは、人や状況によって異なります。

そして、わたしたちは、言葉の持つ意味をさまざまな体験を通じて、常にアップデートしながら生きています。調味料という単語から想起するものは、最初は砂糖・塩・胡椒くらいですが、食の経験とともに醤油・酒・みりんと無数に広がっていくことでしょう。

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また、鍵や通帳、印鑑、パスポートといった大事なものを「貴重品」、パンツや肌着、ブラジャーなどを「下着」というように、分類の数もどんどん増えて、複雑になっていきます。

しかし反対に、認知機能の障害により、その分類を意味する言葉が持つイメージや概念が徐々に不確かになってくることがあるのです。「調味料=味を調えるもの」と理解はできても、それが「調味料→マヨネーズ」だとは想起できず、調味料にマヨネーズが含まれるとは思えないのです。

(旅人の声)

この前、同窓会で友人と話していたとき、「最近『あそこ』に行ったんだけど……」「学生時代によく食べた『あれ』注文したいんだけど……」と、口から出るのがなんだか「あれ」「これ」ばかりで、具体的な言葉がスムーズに出てこないことがありました。

それに、友人の仕事の話を聞いていても、話が難しいからなのか、なかなか理解できません。必死に理解しようと、あれがこうだから、これがそうなって……と、頭の中で言葉を並べ替える整理をしますが、一向に話の内容がよくわからないのです。わたしも話したいことがたくさんあったのですが、なんだかうまく文章にすることができず……。

曖昧な返事を重ねていたので、しまいには友人に「酔っちゃった?」と言って笑われてしまい、「そうかも〜」と誤魔化したのですが、その夜は、頭の中で話の内容をぐるぐると考え続けていました。

最近は、家族と話すときも、思っていることをうまく言葉にまとめられないことが多く、つい「なんでわたしが言いたいことをわかってくれないの!」と八つ当たりしてしまうこともしばしば。

自分の頭の中では、よくよく考えた末に慎重に言葉にしているのですが、どうも脈絡のない話になっていたりするようです。

そうそう、漢字の理解に苦しむことも最近よくあります。

「仏(ほとけ)」という文字を見ても、どうしてもカタカナの「イ」と「ム」に見えてしまい、「イム」って何だろう? と思って「ほとけ」と読むことが難しかったり、「伊藤」という苗字を見て、なぜか「いふじ」と読んでしまい、「ずいぶん珍しい苗字だなー」と思ってしまったり。

あとで、「いとうって読むんだよ」と言われると、「あれ?なんで読めなかったんだろう?」と不思議に思うのですが、そのときは「いとう」という読み方がまったく頭に浮かんでこなかったのです。

思いを言葉にできない理由

記憶の問題、というのも理由の1つです。つまり、自分が話したい内容を想起できないのです。

「印象に残っている映画は何?」と聞かれて、頭の中に映像がぼんやり浮かんだとします。でも、題名も出演者の名前も思い出せません。目の前で話している友人と見に行った気がするのですが、それがいつだったか、どこだったかも思い出せません。「あの俳優が出ている、あの映画……。あのとき、あそこに一緒に見に行った……よね?」と、最初はがんばって伝えようとするのですが、うまくいかないと伝えるのをあきらめてしまうようになりがちです。

また、単語の想起のトラブルもあります。りんごを食べたいと思っても、「りんご」という言葉が出てこないということです。

人や場所のような固有名詞、数字、抽象的な言語、「調味料」や「下着」のような分類ワード、「チャージ」「ATM」のようなカタカナ・英単語ワードは、特に想起することが困難になる傾向が強いようです。

最後の理由は、文章化が困難になるということです。

わたしたちは、「わたしは(主語)+りんごを(目的語)+食べる(動詞)」と、複数の言葉を組み合わせて文章をつくります。この組み合わせをいくつもつくり、その文章同士をつなげることで、自分の意思を人に伝えます。

こうした複数の言葉を想起し、適切な順序に並べ替えるというのは、極めて高度な認知行為であり、ちょっとした認知機能のトラブルによって難しくなってしまうのです。

次ページには、このストーリー内にアイコンの形で登場した「心身機能障害」と、その障害が原因と考えられる生活の困りごとを一覧にしてまとめています。ご自身や家族、周囲の方の困りごと・生活環境を振り返る参考にしてみてください。

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10月17日、出版記念イベントを
開催します。

認知症当事者の声を聞ける貴重な機会です。ぜひ。


出版業界を新しくしたい。もっと良くしたい。読者と、書店と、友達のような出版社でありたい。「本ができること」を増やしたい。いただいたサポートは、そのためにできることに活用させていただきます。