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幻視とは、「異常な行動」ではなく「正常な反応」である。

認知症のある方の心と身体には、どんな問題が起きているのでしょうか? いざこういうことを調べてみても、見つかる情報は、どれも医療従事者介護者視点で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。

この大切な情報を、多くの人に伝えたいと思い、書籍『認知症世界の歩き方』から1話ずつ、全文公開いたします。興味を持っていただけましたら、お近くの書店やAmazonでお買い求めいただけるとうれしいです。

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その光景、実はあなたにだけ見えていたりして

認知症世界。この世界には、見えるはずのないものが見え、聞こえるはずのない音が聞こえる、驚きの森があるのです。

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七変化温泉から見える、水と緑あふれる森。一見天国のように感じられるこの森を分け入っていくと……目に飛び込んできたのは、人間の顔をした「人面樹」! 

それだけではありません。突然、見たこともない虹のような極彩色の鳥が飛んできたり、無人の森から聞こえるはずのない歌声が流れてきたり、木々の枝が生き物のように動き出す……。これじゃ、まるで童話の世界。見えているのは、わたしだけではない……はず!?

わたしにしか見えない
何かがそこにある

子どもの頃、壁の木目が人の顔に見えて、夜は怖くてトイレに行けなかった、なんていう経験のある方、けっこういるのではないでしょうか。

これはなにも特別なことではなく、月には餅つきするうさぎが見えますし、自動販売機の横にある、丸い穴が2つ空いたゴミ箱はカエルにしか見えません。

このように、物の中に人の顔や動物の姿が見えてしまう現象のことを「パレイドリア」と呼びます。これは特に、想像力あふれる子どもたちの得意技なのですが……。

(旅人の声)

最近、「何かが違うモノに見える」という一言では、説明のつかない不思議な体験をよくします。

友人とハイキングに出かけたときのこと。森の中に、何匹もの子犬がいるのです。「どうしてこんなところに子犬が?」。そう思い、友人に話しかけてみると、「え? どこに?」と変な顔をされてしまいました。

気を取り直して、少し息の上がる山道を歩いていると、今度は見たこともない虫が飛んできて、目の前に止まったのです。長い触角を持った、つやつやした黒い虫で、カブトムシくらいの大きさです。でも、こんな虫は見たことがありません。

「まさか新種の虫発見か!?」。わたしは一瞬気持ちが高揚したのですが、その瞬間にぱっと視界から消えてしまいました。

そのあと、日常生活の中でも虫や猫を見かけることがあったのですが、そのたびに、隣にいる家族が「そんなものはいない!」と怒るので、お互いにわけがわからず、ケンカになってしまいました。じゃあ、今わたしの目の前でじゃれているこの猫は、いったい何だというのでしょう?

不思議な体験は、「あるはずのないものが見える」だけではありません。

あるときには、停めたはずの車が突然、動きはじめたのです。レストランの駐車場に車を停めて、お店へ歩きはじめたときのことでした。

「サイドブレーキを引き忘れたんだ!」とびっくりして急いで車に戻ったのですが、エンジンはちゃんと切れていたし、サイドブレーキもしっかり引かれていたのです。一緒にいた友人には「どうしたの?」と怪訝な顔をされたのですが、「ちょっと心配になって」と、その場をなんとか誤魔化してランチに向かいました。

その店では壁の模様がどうしても人の顔に見えてしまい、落ち着きませんでした。ずっと気になり、会話に集中できず、どっと疲れてしまって……。

もうその日は早めに休もうと寝室の扉を開けたのですが、今度はなんと、見知らぬ男の人がわたしのベッドでじっと寝ているではないですか……!

「ギャー!?」と思わず悲鳴をあげてしまいましたが、次の瞬間、それは寝て起きたときのまま丸まっていた布団の塊に変わったのです。

でも、確かに男の人の着ている服まではっきりと見えたのです。悲鳴を聞いて駆けつけた家族には大笑いされましたが、あればっかりはもうごめんです。

そんなわたしは、最近、わたしにしか見えていないものがあるのだと理解しました。

そして、見えたものがあっても、なるべく口に出さないように気をつけることにしています。とっさに口にしてしまうと、「この人おかしいんじゃないか」という目を向けられてしまうからです。やっぱり、人の目は気になります。

そうそう、この間リビングで娘とテレビを見ていたときは、隣の部屋から話し声がはっきりと聞こえてきました。この日はわたしと娘の2人だけで、家にはほかに、だれもいないはずなのに。

夕方になり、そろそろ夕飯の準備をするために「今日は魚にしようかな」と献立を考えていたら、今度はどこからともなく生魚の匂いがしてきました

このときは生臭さがちょっと嫌でしたが、翌日は朝からわたしの好きなオレンジの香りがしてきて、なんとも気分のいい朝でした。悪いことばかりでもないので、まあいいかなとも思っています。

本当は何が見えようと聞こえようと、周りの人が「へぇ〜そうなんだ〜。なになに?」と、普通のこととして自然に受け止めてくれるようになったら、わたしも楽に生きられるようになるのになあ、と思います。

いないはずの人や動物が
確かに見える理由

何もないところにありありと現実のものとして人、動物、虫などが見える幻視は、レビー小体型認知症に特有の症状と言われます。

レビー小体型認知症の幻視は、症状の目立たない初期から3〜4割の人に現れます。まったく現れない人も1〜3割います。幻視を見ながら様子を説明したり、見たものを記憶していて後で説明できるなど、本人にはなんとなくではなく、かなりはっきりと見えているようです。*

このように、いないはずの人や動物が確かに見えるのは、脳の中でも特に、物体・顔・空間・位置・動きの認知に関する部分に障害を受けていることが原因で、これらの認知を幻視によって補おうとしているとも考えられます。

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ここで理解しておきたいことは、人が本当にいるかのように振る舞ったり、突然現れた虫に驚いて叫んだりするのは、異常な行動ではなく正常な反応だ、ということです。本人には、実際に見えているのですから。

 この話、何かに似ていると思いませんか? 大切なモノやお金が盗まれたと思ってしまうのは、本人に買い物の記憶が保持されていなければ、当然「お金は財布の中にあるはずだ」と思ってしまうから(STORY3「アルキタイヒルズ」)。そう、こちらも、本人の記憶に基づけば正しいことを言っています。いずれも、本人の中では何もおかしいことはない正常な反応なのです。

なお、レビー小体型認知症でなくても、薬の副作用などで「せん妄」(一時的な脳機能の低下)を起こしたときに幻視が現れることがあります。しかし、「せん妄状態のときの記憶はない」と言われています。

* 樋口直美『誤作動する脳』(医学書院)

次ページには、このストーリー内にアイコンの形で登場した「心身機能障害」と、その障害が原因と考えられる生活の困りごとを一覧にしてまとめています。ご自身や家族、周囲の方の困りごと・生活環境を振り返る参考にしてみてください。

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