もし「顔」というシンボルが社会からなくなってしまったら、人はどう繋がれるのか?
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もし「顔」というシンボルが社会からなくなってしまったら、人はどう繋がれるのか?

認知症のある方の心と身体には、どんな問題が起きているのでしょうか? いざこういうことを調べてみても、見つかる情報は、どれも医療従事者介護者視点で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。

この大切な情報を、多くの人に伝えたいと思い、書籍『認知症世界の歩き方』から1話ずつ、全文公開いたします。興味を持っていただけましたら、お近くの書店やAmazonでお買い求めいただけるとうれしいです。

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顔というシンボルなしに、人はどうつながるのか?

認知症世界。この世界には、顔が千変万化するため、人を顔では識別しない。つまり、イケメンも美女も関係ない顔無し族が暮らす村があるのです。

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島の中央に位置する沿岸の村。一歩足を踏み入れると、びっくり! あちこちから見え隠れする村人たちの顔が、見るたびに変わるのです。まるで、いろんな仮面を次々と被っているかのようで、中には知り合いそっくりに見える人も。

みんなが同じ顔に見えたり、同じ人でも時々で顔が変わって見えます。つまり、この地では、顔が個人を決定づけるシンボルではない……!? 村人たちは互いを、声や身体の特徴・雰囲気、何よりもその人との思い出で記憶し、つながるのだと言います。

人の顔を見分けるって
実はとっても難しい

この人どこかで会ったことがあるような気がするけれど自信がない、だれだかわからない、名前が出てこない、そんな経験はだれにでもあるでしょう。人の顔や名前を覚えるのが得意だとか、苦手だとか、という話は、なにげない会話の中にも出てきます。

実は、顔を見て正しく人を認識するというのは、簡単なように見えて、ものすごく多くの情報を統合しながら行う、とても高度な認知能力なのです。

(旅人の声)

会社で勤務中に「担当のお客さまがいらした」と連絡があり、受付に行ったのですが、フロアを見渡しても、どの人が自分の顔馴染みのお得意さんなのかまったくわからなかったのです。

受付スタッフに尋ねてお客様を教えてもらい、接客したのですが、「こんな顔だったかな?」という違和感はずっと残っていました。それに、ちょっと手元の資料に目を落とした後、お客様の方に向き直ると、そのたびに顔が違うように見える気がしたのです。

また、ある日の通勤中のこと。後ろから見知らぬ男性に声をかけられることがありました。「ずいぶんと親しげな人だな……」と思いながら、ひとまず笑顔で挨拶を返したのですが、後になって同僚から、「今朝、社長とすごく楽しそうに話してたね」と言われて驚きました。

話の内容から「同じ会社の人だろうな……」とは思ったのですが、まさか社長だとは思いもしなかったのです。同僚が「楽しそうだった」と言うのなら失礼はなかったのだろうと、ほっとしました。

以来、勤務中に自分が探している人の顔がわからなくなったときは、すぐに近くの同僚に聞きます。

人の顔を覚える・思い出すときに自分の脳内の記憶装置を使うことはあきらめ、思い切ってその都度、人に聞くことにしたのです。

自分のスマートフォンの容量がいっぱいで、写真を保存できないとき、インターネット上に保存できるサービスがありますが、それに近い感覚です。

最初は覚えられないことにもどかしさを感じていましたが、少し考え方を変えて、周りの仲間や家族に頼ってみようと切り替えられたときから、人に聞くことにも抵抗がなくなりました。みんな快く教えてくれますし、自分だけではうまくいかずに苦労していたことも、案外簡単に解決できることがわかりました。

声をかけてきた相手が顔からはだれかわからなくても、話しているうちに、内容からだんだんその人と自分の関係性を思い出していくこともあります。また、初めてお会いした人には、「次に会ったときはあなたのことがわからないと思いますが、気軽に声をかけてくださいね」と言うことにしています。

最近は、会社の仲間だけでなく、長年一緒に過ごした家族の顔、古くからの友人の顔も思い出せなくなってきました。それ自体は本当に悲しいことですが、一緒に過ごした思い出が色褪せることは不思議とありません。

逆に、町中を歩いているときに、通りすがりの人が自分の知り合いに見えたので、わたしから親しげに声をかけたら、まったく別人で、怪訝な顔をされたこともあります。ナンパと勘違いされてしまうんですよね(笑)。

自分が担当しているお得意先やよく会う友人・家族の顔だけでも忘れないようにしたいと思い、オリジナルで名前つきの顔写真リストをつくって眺めていた時期もあるのですが、写真で見える顔と目の前の人の顔がうまく結びつかず断念しました。どうやら、二次元である写真での顔の見え方と三次元である実際の顔の見え方は、わたしには少し違うようです。

そうそう、テレビドラマを見ても、役者さんの顔が見分けられずドラマはあきらめていたのですが、この前おもしろいことに気づいたのです。アニメであれば、似たような2人の女性のキャラクターを間違うことなく見分けられたのです。人の顔を見分ける能力というのは、特殊なものですね。

馴染みのお客さんの顔が
わからない理由

最初に、「顔を見て正しく人を認識することは、とても高度な認知能力」と言いましたが、いったい、顔を見るという単純な行為のどこが難しいのでしょうか?

まずわたしたちは、人の顔をアニメのキャラクターを見るときのように「二次元」のものとは捉えていません。

現実に見る顔には、目のくぼみや鼻の膨らみといった起伏がありますよね。つまり、向きや陰影によって見え方が変わる「三次元」の情報です。それを認知することは、アニメや写真を見ることよりも高度な行為、というわけです。

エピソード内で、名前つきの顔写真リストをつくっても役に立たなかったのは、この「現実に見えている三次元の顔」と「写真で見えている二次元の顔」が一致しないためです。

また、複数の情報を統合することが難しいという理由もあります。そもそも認知症のあるなしにかかわらず、わたしたちは、どうやって人の顔を見分けているのでしょうか?

実は、目・鼻・口といった細部の形ではなく、それぞれのパーツの位置関係から人の顔を見分けていることが、専門家の研究からわかっています。*

クイズ番組で、「芸能人の顔写真の一部を見て、その人がだれかを当てる」という問題がありますよね。いくら特徴的であっても、目だけでは正解がわからない解答者たち。しかし、目と鼻の距離がわかった途端、正解者の数が増えるというのはその典型です。

しかし、認知症のある方の場合、目や鼻や口といった個々のパーツは認識できても、それらを統合し、1つの顔として判断するのが難しくなることがあるのです。

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では、エピソードにもあったように「顔からはだれかわからなくても、話しているうちに、内容からだんだんその人と自分の関係性を思い出していく」のはなぜでしょうか。

同窓会を活用した興味深い実験があります。*

卒業後、25年経った同窓会に出席したメンバーの顔写真を撮影し、この同窓会の欠席者に、その写真はだれなのか を特定してもらいました。すると、25年という年月の経過、つまり、顔の変化にもかかわらず、欠席者はかなりの高確率で同窓生の現在の顔を予測し、特定することができたのです。

一方で、その同窓生とはまったく関係ない人を被験者に、同窓会当日の写真と25年前の写真を提示したところ、正答率は低かったのです。

つまり、写真上では25年前の顔と現在の顔がかなり違って見えたとしても、実際に会ったり話したり、同じ時間をともにしたことのある人の方が、脳内のさまざまな記憶が想起され、同一人物であると判断できるのです。

人は顔や姿・形の記憶だけでなく、さまざまな情報を引き出し、照合することで、目の前の人がだれかを判断しているのです。

* 山口真美「顔パターン認識の特殊性とその成立過程」『映像情報メディア学芸誌』 58巻12号 2004年12月

次ページには、このストーリー内にアイコンの形で登場した「心身機能障害」と、その障害が原因と考えられる生活の困りごとを一覧にしてまとめています。ご自身や家族、周囲の方の困りごと・生活環境を振り返る参考にしてみてください。

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10月17日、出版記念イベントを
開催します。

認知症当事者の声を聞ける貴重な機会です。ぜひ。


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