【第一話無料公開】あなたの怖い体験、百円で買い取ります『怪談売買所』
開店
廃墟となった市場に ひっそりとたたずむ ひとつの店
ここでは ある「見えないモノ」が 売り買いされています
それは 本当にあったこわい話 不思議な話……怪談
わたしはこの店の主人 宇津井 鐘太郎と申します
世の中には 常識では考えられない
奇妙な体験をされた方が 数多いらっしゃいます
そっと当店に立ちより
その体験をお話しくだされば 百円をお支払いします
逆に 百円をお支払いいただき
これまでにわたしが集めた
怪異な体験談を 聞いてもらうこともできます
そうやって 一話百円で怪談をやり取りする場所が
ここ 怪談売買所
お客さまはさまざま
怪談好きはもちろん
自身の怪異な体験を だれにも話せずなやんでいた方も
これはある年の夏 怪談売買所でやり取りされた怪談の記録
リーン
おや、すんだ鐘の音が聞こえてきました
あれは店先に置いてある小さな梵鐘の音
お客さまが来たようです……
語り手 石塚三紗さま 三十六才
暑くもなく寒くもなかった、六月のある日のことです。
朝から用事で出かけることになりました。
わたしには息子がいてナオ君とよんでいます。そのころはまだ小さくて、ひとりでるすばんはできなかったので、近所に住む母の家にあずけて出かけました。
ところが、思っていたよりずっと早く用事が終わって、昼の一時ごろには家に帰れたのです。そのまま母の家に行ってナオ君を引きとってもよかったのですが、夕方までめんどうを見てもらう約束だったし、せっかくだからたまっていた家事をやっちゃおうと思いました。小さい子がいると、何をやってもなかなか進みませんから。
家中を片付け、すみずみまでそうじをして、終わったのは三時ごろ。
「ああ、つかれた」
ビングのソファーに深くすわると、そのままいねむりをしてしまったのです。
ピンポーン。チャイムの音に目を覚ましました。
「ねちゃってた!」と飛び起きて時計を見ると、もう四時前。まどから西日がさしています。そろそろナオ君をむかえにいかなくてはなりません。
それよりも、だれかが来ている。
いつもならまずリビングにあるインターホンで出るのですが、あわてていたので、思わずげんかんに行きました。
「どちらさまでしょうか」ドアに向かって声をかけました。
「わたしやけど」
母の声です。夕方になったので、ナオくんを連れてきてくれたのだと思いました。
「お母さん? 今開けるね」
かぎを開けようとしたところで、手を止めました。おかしいんです。
「話し方だ」
少し考えて、変な感じの正体がわかりました。母は千葉県出身で、わたしがいる大阪に出てきたのは十年前。今も関西弁を使わず、共通語を話します。
ところがドアの向こうから聞こえた声は「わたしやけど」と言いました。
関西弁です。母なら「わたしだけど」と言うはず。
「お母さん……?」
不安になってもう一度聞くと、その声が答えました。
「うん、わたしやけど。戸ぉ開けてぇや」
むねがざわざわとします。本当に母でしょうか。ドアにあるのぞき穴を見ました。
母が立っています。いつもの洋服、いつものかみ型。どう見ても母です。
ただ、ナオ君のすがたはありません。
かわりに右手に奇妙なものをだいていました。女の子の西洋人形です。
ごうかな青いドレスに、クルクルにカールした金色の長いかみ。
母がそんなものを持っているのを見たのは、初めてです。
「お母さん、それ、何?」
とまどいながら聞くと、母は関西弁で答えました。
「近くまで来たからよってん。マクド買うてきたで。あんた好きやろ? いっしょに食べようや」
母は人形についていっさいふれず、とつぜん左手に持った茶色い紙ぶくろを見せてきました。黄色いMのマークが印刷されています。「マクド」は、関西の人がマクドナルドを略すときの言い方で、母はふだん「マック」と言っているはずなのです。
「お母さん、それよりナオ君はどこなの?」
「ナオ君やったら、うちにおる」
「ひとりにしてだいじょうぶなの!?」
「だいじょうぶやって。それよりほら、マクド買うてきたで。戸ぉ開けて」
「だいじょうぶじゃないでしょ! ナオ君ひとりにするなんて!」
「うん、マクド買うてきたで」
「は……?」
「マクド買うてきたで。戸ぉ開けて。マクド買うてきたで、マクド買うてきたで、マクド買うてきたで、マクド買うてきたで、マクド買うてきたで……」
こわれた機械のように同じ言葉をくり返す母をのぞき穴ごしに見て、背筋に冷たいものが走りました。
母じゃない。見た目は母だけど、母じゃない。
そんなおかしなことはあるはずがないのに、そうとしか思えないのです。
ふるえる声を必死におさえて言いました。
「お母さん、ごめん。今いそがしくて手がはなせない。だから今日は帰って」
「え? マクド買うてきたで。あんた好きやろ。いっしょに食べよ。戸ぉ開けてぇや」
紙ぶくろを上げたまましつこく続く言葉をさえぎって、大きな声で言いました。
「今日は無理なの! 帰って! お願いだから!」
すると、母そっくりな人の左手が力なく下がりました。
「なんや冷たいなあ! せっかくマクド買うてきたったのに」
女の人はろうかのほうを向きました。やっと帰ってくれると思った、その時です。
右うでにだかれていた人形が、パッとこちらを向いたのです。
目が合いました。まるで生きているようにあわくかがやくガラス製の青い目が、しっかりとわたしを見ています。
ぞっとしてドアからはなれ、わたしはよろけるようにへたりこみました。
ズッズッ……人形を持った女の人の、引きずるような足音が遠ざかっていきます。いやな足音が聞こえなくなっても、しばらく立ち上がることができませんでした。
「ナオ君!」
われに返ったわたしはリビングへと走り、あわてて電話をかけました。
「はーい、どうしたの?」聞こえてきたのは、母のいつもの明るい声。
「お母さん? ナオ君は?」
「部屋で遊んでいるよ。もうむかえに来る?」声も、言葉も、まちがいなく母です。
「お母さん、さっきわたしの家に来た?」
「何言っているの。行くはずないでしょ? 家でナオ君を見てるの、わすれた?」
息子に危険がなかったのがわかると、力がぬけてなみだがあふれてきました。
「ごめん。ナオ君をもう少し見ていてもらえる?」
「いいよ。ゆっくりして」
それにしても家をたずねて来たアレは、いったいなんだったのか。
しばらく考えていたわたしは、ふとあることに気づきました。
わたしの住んでいるマンションには、チャイムを鳴らすと、げんかんについているカメラが作動し、来た人を撮影する機能があります。
あの位置に立っていたということは、カメラがあの人をとらえているはず。
インターホンのスイッチをおしてみると「データ:一件」の表示。
おそるおそる再生しました。
だれもうつっていません。
だれもいないげんかんのようすが、無音のまま三十秒ほど流れただけだったのです。
だけどわたしは、のぞき穴ごしにだれかがドアの前にいるのをたしかに見たのです。
うつっていないはずがないのに。
あの日たずねてきた、母そっくりな人の正体は、わからないままです。