ウユニ塩湖でテントを張ったらこうなった!『ウユニ塩湖完全ガイド』(10月27日発売)から一部抜粋
誰もが「生きているうちに一度は行きたい」と願う世界一の絶景、ウユニ塩湖。その「日本初のガイドブック」がついに誕生しました!特別にその中身を抜粋してご紹介します。
塩湖にテントで泊まり込んだ写真家の手記
A photographer's travel note.
あるフォトグラファーが駆け出しの頃に挑んだのは、飲み水さえないウユニ塩湖に1ヶ月間滞在し写真を撮る、という無謀とも思える冒険。想像以上にウユニ塩湖での環境は厳しく、時には命の危険を感じる時も。臨場感ある文章は読むだけで私たちをウユニ塩湖を連れて行ってくれます。
僕が写真を撮ることに目覚めた場所
うだるような暑さで目が覚めた。額を流れ落ちる汗をぬぐい、満足に腕も伸ばせないテントの中で、時計を手探りで探す。正午0時、気温は34度、標高3,660m。脱水症状なのか高山病なのかわからないが、ひどく頭が痛む。「何しにここに来たんだっけ?」。目の前には見慣れぬオレンジ色の天井。もうろうとする頭で思い出すことにした。
2016年、フリーの写真家として駆け出した僕は、初めての海外撮影に向けて準備を進めていた。行き先はウユニ塩湖。期間は1月の終わりから3月の中旬までの雨季シーズン。この場所に来るには少なからず理由があった。
10年前、初めてあの景色を見たときは、ただただ混乱し、理解できず思わず笑い出してしまったのを覚えている。「なんだここは?」。頭の中にある想像の範囲を軽々と飛び越えてしまったのだ。この場所がきっかけで、僕は写真を撮ることに目覚めた。「旅先で感動した風景を切り取り、その写真を届けたい。人の心を動かすきっかけになりたい」。ウユニ塩湖は写真家としての原点だった。
旅から戻り、辛いアシスタント時代を経て、いよいよフリーの写真家となった今、この場所を撮らずして何を撮るのだろうか。
いまや南米旅行でのハイライトとなったウユニ塩湖は多くの人が訪れ、様々な写真が撮られている。せっかくプロの写真家としてウユニを撮るなら、みんなが知らない、見たことないような写真を撮ってやろう。そうして自分が何をするべきか考えた結果、こんな結論にたどり着いた。
「1ヶ月間ウユニ塩湖に張りつく」
ウユニ塩湖の真ん中にテントを張って、一ヶ月間密着して撮影をする。こんなことを考えた人間は日本人ではおろか、世界中でも僕一人だろう。そこからは準備に追われる日々が続いた。先立って調べてみたが、参考になりそうな情報はあまり見つからなかった。なにせ「世界初」だ。自分の経験や想像力に頼り、あたり一面「塩」しかない生活を頭の中で再現して、荷物を丁寧に選定していくしかなかった。
寒暖の差が激しいウユニでは、気温差に耐えられるよう半袖からダウンジャケットまで揃えなくてはいけない。機材も替えのカメラボディやレンズはもちろん、充電のために防水ソーラーパネルも必須だ。
生きるための食料と水分量も計算した。ウユニ塩湖の水は海水の5倍の濃度。飲み水としてはまったく期待できない。水分補給や調理に必要な分、さらには体を拭いたり、歯を磨くなど、生活にかかる水をすべて近くの村から運ぶ必要がある。結果、荷物の総重量は水をのぞいても50kg を超えてしまった。
懐かしい村と終わらない日照り
慌ただしい準備期間を経て、僕はウユニ空港に降り立った。この時期のボリビアは夏だ。日差しは強烈。にもかかわらず風が吹くとかなり寒い。乾燥したこの土地特有の砂埃の匂い、硬く無機質な大地は腕組みをした大男のような無骨さ。2年ぶりのアンデスの気候が少し懐かしく感じた。
乗り合いバスに揺られること約30分。懐かしいウユニの村が見えてきた。この10年で観光客はずいぶん増え、村には信号もでき、通りの様子は大きく変わった。ただ、少しシャイな子どもたちのはにかんだ顔や、小さな雑貨屋さんの奥に座る老婆の素朴な笑顔は、まったく変わっていなかったのが嬉しかった。
村はシーズンだけあって旅行客にあふれ、活気づいている。まずはツアー会社のオフィスに入って最近の天気について聞いてみた。今回の撮影の成否は天気が90%を決めると言っても過言でない。
「60年間、ここで暮らしているけど、ここまで雨の降らない年は初めてかもしれない」。
チョリータ衣装の女性がため息をつくように話した。それは僕にとって最悪の事態だった。雨季なのに雨が降らない。日照りは日に日に深刻になっていき、水不足は村の生活にも支障をきたしはじめていた。村に来て6日目、塩湖に行ったところで撮影できないのはわかりきっている。だが、現地に入らないと何も始まらない。もう答えは決まっていた。
村からウユニ塩湖へは車で1時間。徒歩ではとてもじゃないがたどり着くのは困難だ。まずは旅行会社と契約しなければ話にならない。値段交渉のために片道のみの送迎であることを伝えると怪訝な顔をされた。当然だ。誰もいない、何もないウユニ塩湖に片道切符で行くなんて普通は思いつきもしない。そこで、自分は写真家で撮影のために来たこと、1ヶ月間、ウユニ塩湖の中でキャンプ生活をすることを話した。すると目を丸くしてそんなことする人は初めて見たと驚かれた。
1ヶ月後に絶対に迎えに来るように何度もお願いをして、交渉は成立。机の上にあったカレンダーに赤ペンで何重にも丸をつけて念を押した。出発は翌日の朝に決まった。
星に願いを
翌朝、ジープは僕一人を乗せて塩湖に向けて走っていく。土と塩が混ざった道がついには真っ白になった。そして、日本を離れて約1週間、ようやくウユニ塩湖が僕の目の前に姿を現した。
塩湖に入って、40分ほど走ると大きなモニュメントが見えてくる。世界でもっとも過酷なモータースポーツ、ダカールラリーのモニュメントだ。広いウユニ塩湖で目印になりそうなものはこのモニュメントしかなく、ここで1ヶ月後に待ち合わせることにした。
ドライバーに絶対忘れずに迎えに来てくれるようにお願いすると、「大丈夫だよ」と笑っている。少し不安になりながらも荷物をすべて降ろすと、ジープは早々に村に戻っていった。
人を避けて、ここから10km ほど離れた場所にテントを張る。立つのもやっとなほどに重いバックパックを背負い、カメラバッグをかつぎ、登山用のストックを使いながらウユニ塩湖を歩く姿はかなり奇妙だったかもしれない。
なんとか2時間ほど歩き、モニュメントが見えなくなった場所でテントを張ることにした。結局、すべての荷物をキャンプ地に運びきるのに2日かかった。一度では運びきれず、モニュメントと宿営地を何往復もしたのだ。体は疲れ切っており、しばらく塩の大地に寝そべったまま起き上がることができなかった。
しばらくすると寒さで目が覚めた。日はすでに暮れ、辺り一面に夜が広がっていた。疲れと風の気持ちよさにそのまま寝てしまっていたようだ。寒いな、と思ってひとまずテントの中に入り、ダウンジャケットを着込んでから夕食をつくることにした。
テントに吊るしたランタンの灯と星の光しかなかったが、それだけで十分なほど明るい。標高約3,700m にあるウユニ塩湖は乾燥していて、大気中の水蒸気が少なく、世界有数の天体観測スポットと言われている。頭上にはうるさいくらい星が輝き、数秒ごとに流れ星が落ちていた。そして、十何年ぶりかに流れ星にお願いをした。
「早く雨が降りますように」。
…絶景にたどり着くまでに、このカメラマンに降りかかるさらなる自然の猛威とは?
今回完成した『ウユニ塩湖完全ガイド』には、ここでは紹介しきれない美しい写真や、一生一度のウユニ塩湖への旅を絶対後悔しないために考え抜いたコンテンツが満載です。
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