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帰ってきたヨシダナギが見つけた「ドラァグクイーン」という象徴

5月25日、ヨシダナギさんの新刊『DRAG QUEEN -No Light, No Queen-』(ライツ社)が発売開始となりました。

出版記念として、紀伊國屋書店 新宿本店では、合計57面展開の超巨大フェアが始まりました。1F広場、1F話題書、4F芸術書棚の3箇所に、ドラァグクイーンたちが勇ましく、その姿を見せてくれています。ドドン。

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緊急事態宣言により休業していた新宿本店の営業再開に合わせるように、発売を延期していた本書を出版できることを、まずはとても嬉しく思います。

帰ってきたヨシダナギ

世界中の少数民族を収めたベスト作品集『HEROES』から2年……。ヨシダナギさんの新境地となる作品の被写体は「ドラァグ・クイーン」でした。

「Dress as a girl」略して「Drag」。

一般的に女装する男性を指します。女性の性をモチーフとして自己表現へと昇華する彼女たちは世界各国に存在しており、近年ではLGBTQに属する男性だけでなく女性のドラァグクイーンも誕生するなど、アンダーグラウンドカルチャーという枠を超える表現者として注目を浴びています。

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“私たちがしてることは真面目じゃないけど、マジなのよ。”

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“唯一のルールは、ルールがないことなの。”

「自分とちがう人ほど、かっこいい。」「言葉にできない美しさと強烈な存在感は、民族を見た時に感じたのと、ある種同質だった。」

そう、ヨシダナギさんは話します。

「No Light, No Queen. 人生はドラマで、できている。」「歓喜と挫折の狭間で生きる、美しくもたくましいクイーンたちへ今、眩しいほどのスポットライトを。」

ドラァグ・クイーンのその美しい立ち姿に呼応し、ヨシダナギがその感受性と色彩感覚を爆発させた、現代社会における人間の多様性を世界へ示唆する一冊です。

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作品集の内容と仕様(直筆サイン本のお知らせ)

(内容)
・ニューヨークとパリでの撮り下ろした全57カットを収録
・ヨシダナギが語る制作秘話2000字超えのあとがきも収録
・ドラァグ・クイーンたちの名言も
(仕様)
サイズ:A4ノビ(縦225mm横300mm)の大型版
印刷:京都の老舗美術印刷会社サンエムカラーの「8K印刷」を採用
製本は:新日本製本による180度開く「上製本キャラコ巻き」

※2020年5月25日現在、書店においては紀伊國屋書店新宿本店のみ直筆サイン本を販売しています。

特典DVD、60分たっぷりの動画を付録

・撮影風景をおさめたムービー(ニューヨーク・パリ篇の2本)
・ヨシダナギ自らが行ったドラァグ・クイーンへのインタビュー映像
ドラァグ・クイーンたちのバックストーリーも、作品集と一緒にお楽しみいただけます。

そして最後に、本書に掲載されたヨシダナギさんによる「あとがき」を掲載いたします。

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わたしがドラァグ・クイーンを選んだ理由

世界中の少数民族ばかりを撮影し続けてきた私が、なぜ今回ドラァグ・クイーンというモデルを選んだのか疑問に思う人がいることだろう。

「自分と違う人ほど美しく、カッコイイ。そして面白い。」

これは幼少期から今も変わらず私の中にある思いであり、少数民族を追いかけ続けてきた理由であるとともに、今回ドラァグ・クイーンをモデルに選んだ動機でもある。

世の中では、造形が整っている人=美しいとされることが多い。
しかし、少数民族を撮影しているうちにその定義とは異なる、〝真の美しさ〟というものを見つけた気がするのだ。
人を惹きつける美しさとは、その人間の生き様とドラマを映した〝立ち姿〟にこそ表れるものだと。

〝堂々と美しく立つ〟ということは、簡単なようでとても難しい。

人間の持つ生き様が瞬時に露出するからこそ、立ち姿は偽ることができない。
この誤魔化しのきかない立ち姿に美しさを持つがゆえ、私は少数民族に強く惹かれ、彼らばかりを追いかけてきたのではないかと思う。

写真家という肩書きを偶然手に入れてから今年で5年目を迎えたのだが、数年前から「そろそろ少数民族以外の作品を見てみたい」と言われることが増えた。
そして、そのような撮影依頼が舞い込んでくるたびに実は気が滅入っていた。

この職業を続けていくうえで、「新しい作品が見たい」と言われるのは幸せなことだと頭では理解していたのだが、私はただ少数民族が好きなだけであって、決してカメラや撮影自体が好きなわけではない。
だから、どうしても少数民族以外の撮影を「仕事」として割り切って受けることができず、大人になりきれない自分にも嫌気がさしていた。

そもそも、私は人があまり好きではないのだ。
好きではないというよりは「人に興味がもてない」という方が適切かもしれない。(人に限らず、世の中のことにもあまり関心が持てないのだが……。)

少し前までは、それも己のパーソナリティの1つくらいにしか思っておらず、特に気にも留めていなかった。
しかし、「視野の狭い自分のせいで仕事の幅を広げられずにいる」という現実が、サポートしてくれている人たちに迷惑をかけ、今まで支えてくれていた人たちの期待にも応えられていないのではないかと思うようになっていた。
そして、その思いは次第に罪悪感へと変わりはじめていた。

けれども、被写体への愛と尊敬を持ち合わせない撮り手に良い作品は絶対に撮れるわけがないと思っている私が好きになれないものを撮影するのは、自分のポリシーから大きく逸脱してしまう。
この2年くらいは、そんな焦りと罪悪感、ポリシーの狭間で苦しんでいた。(この時期は「人に興味を抱く方法」などというワードをGoogle検索するほど追い詰められていた。)

しかし、その時は突然訪れた。

2018年の夏の終わり頃に〝ドラァグ・クイーン〟が、ふと脳裏を横切ったのだ。
6~7年前に観た、映画「プリシラ(The Adventures of Priscilla, Queen of the Desert)」に登場する彼女たちの華やかな衣装と、それに負けない美しい生き様に心が強く揺さぶられたことを鮮明に思い出したのだ。(その瞬間、脳内で見知らぬドラァグ・クイーンにウィンクされたような気がした。)

ドラァグ・クイーンに会ってみたい。
ドラァグ・クイーンを撮影してみたい。

少数民族以外に興味を抱くなんて何年ぶりだろうか。自分が興味を持てる人が現れたことに私は嬉々とした。

正直に言うと、彼女たちに会うまでは「ドラァグ・クイーンは、男性として生まれてきた人が女装をしている」程度の認識しかなかった。
だから、ドラァグ・クイーンとはゲイなのかトランスジェンダーなのかなど、わからないことだらけだった。

実際に、ニューヨークとパリで協力してくれた彼女たちは想像以上に美しく妖艶で、自由な人たちだった。
この取材を通して、ドラァグ・クイーンにも、さまざまなジャンルとジェンダーがあることを知ったのだが、彼女たちの話を聞いているうちにカテゴリーなどはともかく、〝自分がなりたいモノになることがドラァグ・クイーン〟 だということも、わかった。


つまり、男性や女性、ゲイやストレート、そんな狭い枠におさまる人たちでは到底なかったのだ。ドラァグ・クイーンとは、とてつもなく幅広く、定型を持たない自由な存在で、彼女たちの生き方そのものがアートであり〝自由の象徴〟だったのだ。

壮絶な過去を背負う人、大きな壁を乗り越えてきた人、美への飽くなき探求心を持つ人、それぞれが皆ドラマを持っていた。
そこから垣間見える不器用な生き様と精一杯の人間らしさに惹かれると同時に、少数民族に感じた〝真の美しさ〟が、彼女たちにも溢れているのを感じた。

〝完璧なモノばかりが美しいのではない。すべてにそれぞれの美しさがある〟

自分の写真(立ち姿)を見るたびに悲しくなるほどコンプレックスだらけの私には、美しく堂々と立つ人間とその生き様に強い憧れがあった。
おそらく私は少数民族を写すことで、そんな弱い自分自身を癒してもらってきたのだ。
今回、クイーンたちは「人間ってもっと自由でいいのよ」と私に投げかけてくれた。
そして、人に対して無関心な私に〝人間は美しくって、面白い〟そう思わせてくれたのだ。

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彼女たちの人生のドラマこそが、その美しさの源泉であり、アートであることを共有してもらえたら嬉しい。

誰もがもっと自由に生きやすい世界になっていくことを心から願いながら、
美しきドラァグ・クイーンたちへ、大きな尊敬とともにこの作品集を捧げる。

ヨシダナギ

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ライツ社
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