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駅構内の「↑」という矢印に、戸惑ったことのある人はいませんか?

認知症のある方の心と身体には、どんな問題が起きているのでしょうか? いざこういうことを調べてみても、見つかる情報は、どれも医療従事者介護者視点で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。

この大切な情報を、多くの人に伝えたいと思い、書籍『認知症世界の歩き方』から1話ずつ、全文公開いたします。興味を持っていただけましたら、お近くの書店やAmazonでお買い求めいただけるとうれしいです。

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【急募!】地図のない世界を旅する方法

認知症世界。この世界には、何度訪れても必ず迷い、目的地にたどり着く前に必ず寄り道をしてしまう、摩訶不思議な商店街があるのです。

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この世界でもっとも賑やかな通り、二次元銀座。この街では、目の前の風景が平面の絵のように見えるため、「近い」「遠い」という感覚があまりありません。目の前の二次元の景色がすべてなので、自分の位置を空から俯瞰して描かれた「地図」は存在しません。そのうえ歩いていると、東西はふいに入れ替わり、案内板の矢印はあらぬ方向を指し、目印にしている建物は突如消えてしまう、カラクリの街……。

この街を歩く人々は、どうやって目的地に着くというのでしょうか?

距離・方向・奥行き……
地図を読む感覚が失われていく

地図を読めない、東西南北がわからない、そんな人は多いですよね。初めて訪れる駅に降り立ったら、まずは構内にある地図を見て……。最近はもっぱらスマートフォンの地図アプリでしょうか。

でも、地図を見ても自分がどっち向きに立っているのかわからず、スマホを片手に逆方向に歩いてはまた戻って……という経験がある人も多いでしょう。地下から地上に上がると、方向感覚を失い奇妙な気分になることも。こうした出来事も、たまにならいいのですが……。

これが、毎日通っている「いつもの道」でも迷ってしまうとなると、困りごとは多そうです。

(旅人の声)

その日は、隣の駅に新しくできたカフェで友人とお茶をするために、1人で家を出ました。電車に乗って、最寄り駅までスムーズに到着。

しかし、問題はそのあとでした。駅を出てから、自分がどちらの方向に向かえばいいかまったく検討がつきません

そこで、目の前にあった立て看板の地図で確認してみることにしました。現在地はここで、向こうにはデパートがあって、反対側には学校があって……と考えながら、地図と目の前の風景を交互に眺めるのですが、頭の中でこの2つがどうしても重ならないのです。

やっとの思いでカフェにたどり着きました。しかし、今度はカフェの中で迷ってしまったのです。

トイレに行こうと席を立ったのですが、一向にトイレのマークが見つかりません。何度も同じ場所をぐるぐる歩き回っているうちに、やっとトイレのマークが目に飛び込んできました。なぜ1回で見つけられなかったのか、自分でもわかりません。ただそのときは、どれだけ探しても、わたしの視界にはまったく入ってこなかったのです。

最近、さらにショックなこともありました。毎日、もう何年も通い慣れた通勤の途中で道に迷ってしまったのです。

駅から会社に向かって歩いていると、いつも目にしていたウェディングのお店が見当たらない……。実は、店が改装中で、ショーウィンドウのドレスが展示されていなかっただけだったと、あとでわかったのですが、そのときはその変化にとてつもなく大きな違和感を持ったのです。

ここはどこなのか確かめようとあたりを見回したのですが、「こんなお店あったかな?」「あれ、こんな細い道だったかな?」「この道は本当に会社に向かっているのかな?」とすべてに対して自信がなくなり、疑心暗鬼になってしまいました。

次第に、「道を間違えたんだ」という思いが膨らみ、その場に立ち尽くしてしまいました。そのときは、たまたま後ろから歩いてきた同僚が声をかけてくれたので助かりました。

そこでわたしは、通勤などの頻繁に使うルートで迷わないようにするために、家族と一緒に写真つきのオリジナルマップをつくりました。

まず、会社や自宅・病院など、よく訪れる場所までの道のりを、家族と一緒に歩きながら写真を撮ります。次に、道のりに沿って見えてくる順番に写真をノートに貼り付け、「この看板が見えたら左に曲がってね!」「この建物が見えたらまだまだ直進」などと、メモを書きます。

この地図があれば、歩きながら見えてくる建物などを手掛かりに、写真と照らし合わせて目的地まで1人で進むことができます。もし迷っても、この写真を見せて、人に尋ねることもできます。こうやって、少しずつ工夫を重ね街を攻略していっています。

いつもの道で
迷ってしまう理由

普段通い慣れた道でも迷ってしまうのは、どうしてでしょうか。

1つ目は、前後左右の方向感覚が失われてしまうから。わたしたちは通常、「あっちの方に5分ほど歩いたあたりだったなあ」という感じで、現在地と目的地の位置関係を大まかに捉えながら移動しています。しかし、方向と距離、奥行きの感覚に障害を抱えることで、この関係を把握できなくなります

2つ目は、見えていない道や建物を想像することが困難なためです(STORY2「ホワイトアウト渓谷」)。だれかに道を尋ねて、「2つ目の角を右に」と言われても、今、自分が立っている場所で「右」はわかっても「その先の角」がどこなのか想像できないため、どこで右に曲がればいいのかがわからなくなるのです。

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3つ目は、ランドマークへの注意と記憶が難しくなるから。わたしたちは道を歩いているときに、「このポストが右に曲がる目印だ!」と強く意識していなくとも、なんとなく「ポストの角を曲がったな〜」くらいの感じで、街のランドマークを自分の記憶に留めています。その記憶を重ねていくことで、「馴染みの街」というものができるのです。

しかし、ランドマークを記憶に留めておくことが困難になると、認知症のある方は、自分なりの特定の目印を決めて移動することが多くなります。その目印をなんらかの理由で失うと(閉店・改装・移動などにより)、曲がるべきところで曲がれなかったり、いつもと違う様子に混乱し、違う道を歩いてきてしまったと焦ったり、前に進めなくなってしまったりするようです。

4つ目は、視界や視野の問題です。認知症により、視野が狭くなり、頼りとしている目印が目に入らなかったり、曲がり角を見落としたりすることが起きがちです。トイレのマークが一向に目に入ってこなかったのは、トイレのマークが通路側に直角に飛び出ておらず、壁に貼りついていたため、狭くなった視野に入らなかったことが原因の1つと考えられます。

5つ目は、心強い武器であるはずの地図(紙でもアプリでも)と、目の前に広がる景色を照らし合わせることが難しい。つまり、「二次元」と「三次元」の情報を照合することが難しいという理由です。

(旅人の声)

ある日、仕事で大きな駅に降り立ったときに、はたと困ってしまいました。わたしの行きたかった施設は、「A7出口から出て直進」と案内板に書いてありました。

周りをキョロキョロ見回すと、天井に「A7↑」とぶら下がっているサインが見つかりました。「えっ……!?」。落ち着いて考えると「↑=直進」だとわかるのですが、そのときのわたしには、この「↑」が「天井を指している」としか思えなかったのです。

「なんなの、これ!? どうしよう……」。さらにキョロキョロ周りを見ると、今度は斜め上に伸びた「↗」もありました。「斜め上に行くって、どういうこと!?」。ますます混乱してしまい、もう、この駅から二度と出られないような気持ちになってしまいました。そのときは、通りがかりの親切な女性が「お困りですか?」と声をかけてくださり、無事ことなきを得たのですが。

また、こんなこともありました。夫と近所の大型ショッピングセンターに買い物に出かけたときのことです。

買い物はたいてい車で行くのですが、駐車はひと苦労です。あの白い線の枠の中に、上手に車を停めることができません。どのくらい奥まで車を入れたらいいのかどちらの方向にハンドルを切ればいいのか、混乱してしまうのです。バックでの駐車はなおさらです。

最近は、駐車場の奥の壁や運転中の前方の車との距離感がつかみづらくなってきており、運転することがどんどん難しくなってきました。

店内に入ってからは、カートを押して歩いていると、ふとした瞬間に右隣にいる夫の姿が見えなくなって、「あれ、どこいったの?」と思うことがたびたびありました。そのたびに、あたりをくるりと見回して、「あ、すぐ隣にいたのね」と確認します。どうも、視界に入る範囲が狭くなってきているようです。

矢印の指す方向が
わからなくなる理由

駅や店舗・道などでよく見る、「(Uターン) 」とか「↖」︎とか「↑」の矢印。「これって戻るってこと? 左上に進むってどういうこと?」。だれでも一瞬、指している方向がわからないときってありますよね。

その理由はこうです。わたしたちが目にする矢印は、紙や看板に描かれた平面上(二次元)の情報です。一方、その矢印が指す方向は、上下左右に加え、前後を含む空間(三次元)の情報を表しています。

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そのため、矢印を見て進む方向を理解するためには、看板に描かれた二次元の情報と、目の前に広がる三次元の空間を頭の中で統合する、という高度な認知機能が必要となるのです。地図を読むことが難しいのも、同じ理由です。

次ページには、このストーリー内にアイコンの形で登場した「心身機能障害」と、その障害が原因と考えられる生活の困りごとを一覧にしてまとめています。ご自身や家族、周囲の方の困りごと・生活環境を振り返る参考にしてみてください。

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