認知症のある方が、おんなじ服ばかり着たがるのは「好みの問題」ではなかった
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認知症のある方が、おんなじ服ばかり着たがるのは「好みの問題」ではなかった

認知症のある方の心と身体には、どんな問題が起きているのでしょうか? いざこういうことを調べてみても、見つかる情報は、どれも医療従事者介護者視点で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。

この大切な情報を、多くの人に伝えたいと思い、書籍『認知症世界の歩き方』から1話ずつ、全文公開いたします。興味を持っていただけましたら、お近くの書店やAmazonでお買い求めいただけるとうれしいです。

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あなたの腕は、この暗闇を抜けられるのか?

認知症世界。この世界には、一見簡単そうに見えるのに、壁にぶつかり、袋小路にはまり、なかなか出口にたどり着かないトンネルがあるのです。

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農村地帯から山を貫き、都市部へ伸びるこのトンネルは、ほんのわずかな距離の一本道。しかし、入り口から先を見通すことはできません。それはまるで、とてつもなく奥まで続くブラックホールのようです。

意を決して足を踏み入れると、あっという間に失ってしまう距離や方向の感覚。何度もぶつかってしまう壁……。しかも、奇妙なことに、通るたびにサラサラだったりゴワゴワだったり感触が異なります。そして最後には、どう身体を動かしていいかさえわからなくなり、ぼう然と立ち尽くしてしまうのです。

自分の「意思」と
身体の「動き」にズレが生じる

コップを持つ、ボールを投げる、字を書く、服を着る。なにげなくやっているようで、自分の身体を自分の思い通りに動かすのは、実はけっこう難しいことです。

試しに、自分が運動している姿をスマートフォンで撮影して、見てみてください。自分の姿勢や動きは想像していたものとは違っているはず。野球選手が、自分の打撃フォームを撮影してチェックしているのは、そのためです。

自分の思いや意思と身体の動きにズレが生じるのは、だれにとってもよくあることなのです。

(旅人の声)

なんだか、自分の身体が自分のものでないように感じる出来事がありました。

朝から出かけるために、着替えていたときのことです。

まず、ハンガーにかかった服に手を伸ばしてみるものの、うまく距離感がつかめず、なかなか服がつかめません。ひと苦労して服を手に取っても、今度は服の上下・左右・表裏がはっきりせず腕をどこに通したらいいのかわからないのです。

運よく袖に手が通っても、途中で引っかかってしまったら最後、ここからどの方向に手を伸ばせばいいのかわからなくなって途方に暮れてしまいました。まるで、迷路に迷い込んだときみたいに……。

さらに、「あ、あそこだ!」と出口を見つけても、そこを狙ってうまく手を持っていくことができません。何度もトライするのですがなかなかできなくて、1枚の服を着るのに1時間以上かかってしまいました。

「どうしちゃったんだろう……」と思いながらも、出発まで時間がないので、急いで靴下を履こうとしました。すると、またしてもなかなか足が靴下に入らないのです。

立ったり座ったりしながら格闘し、「なんとか履けた!」……と思ったのですが、夫から「靴下のかかとが上向きになってるよ?」と言われてしまいました。もう一度履き直す気力もなくて、その日はもう、お出かけをあきらめました。

子どもの頃には、ボタンを掛け違えたり、袖から頭を出そうとしてみたりして、うまく着られず、親に直してもらうことがありましたよね。ですが、大人になってからは、服を着る難しさなんてすっかり忘れているものです。「服の着方を忘れてしまったのか……」とも思ったのですが、着る手順はわかるので、どうやら記憶障害とは違う症状のようです。

そうやって、いろんな服に毎日トライしていると、わたしにも着やすい服と苦手な服があることがわかってきました。

まず、服の形。ある程度形がはっきりしているものがいいです。薄手のカーディガンのような柔らかい素材だと、すぐにぐちゃっとなってしまい、服の全体像がわからないのです。どこをつかんで、どこから着たらいいのかわかりません。

服の形を把握するために、首の後ろに目印を縫いつけるのは効果的でした。その目印を持ち上げると上下と表裏が把握できるので便利です。でも本当のことを言えば、持っている服すべてを腕の先まで広げた形で並べて置いておけると助かります。

それから、素材も重要です。サラサラしているものが一番早く着ることができます。肌に引っかからないので、袖の通し口さえ見つけられればスルッと腕を通せるのです。ゴワゴワしているものだと、せっかく通し口を見つけても、腕が引っかかった途端にどう動かせばいいのかわからなくなって、混乱してしまいます。

また、袖の通し口の内側に目印のテープを丸く貼っておくと、入り口がわかるのでオススメです。

自分の身体が自分の思うように動かないことは、服を着るとき以外にもあります。

義母から電話がかかってきたときのことです。夫への伝言を頼まれたので、メモ帳にさっと書き留めました。しかし、帰ってきた夫がメモを見て、こんなことを言うのです。「なんて書いてあるのかわからない」。そんなはずはないとメモを見ると、そこにはまるでアラビア文字のような読めない文字の羅列がありました

そうそう、夕飯を食べているときも、困ったことがあります。お茶を飲もうとコップに手を伸ばすもののうまくつかむことができません。やっとつかめたと思っても、自分の口元へ運ぶまでに何度もこぼしてしまいました。

服の脱ぎ着が難しくなる理由

認知症のある方が、着替えを拒む、同じ服ばかり着たがることがあります。しかしそれは、1つの服に執着しているわけでも、着替えが嫌いなわけでもありません。実は、「服の脱ぎ着が難しく、できるだけ着やすい服を着たい」という気持ちが背景にあることが多いようです。

脱ぎ着が難しい理由はいくつか考えられます。

1つ目は、自分の手足の位置や動かし方がわからないという理由です。人の脳には「身体地図」というものがあると言われています。その地図に従い、頭の中で、自分の手足はどのくらいの長さなのか、どこで手足が曲がるのか、どうやって動かせるのかなどを把握しています。認知機能の障害により、その身体地図がわからなくなるため、手足の位置を把握したり、適切な位置に動かしたりすることが難しくなるのです。

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元・メジャーリーガーのイチロー選手は、精密な身体地図の持ち主であったため、ヒットを打ったときに、「手・腕・肘・腰・膝など自分の身体がどのように動いたのかをすべて知覚し、言語化できた」と言います。その地図を絶えず修正・更新することで、4367本という途方もない数の安打を打ち続けたのです。

2つ目は、空間を認識する能力の問題です。シャツの袖に手を入れる際、わたしたちは、服全体の形を把握し、奥行きのある袖を見つけ、穴と自分の手の距離と方向をはかり、手を袖の先まで動かす必要があります。

しかし、認知機能の障害により、服の立体的な形の把握が難しく、穴がどこにあるかわからず、思うように手を入れられないのです。

3つ目は、動作の順番がわからなくなる(STORY13「カイケイの壁」)という理由です。「Tシャツを着る」というシンプルな動作は、分解して見てみると、複雑な動きで構成されています。服をつかむ → 服の形を把握する → 裾を持ち、頭を入れる → 服の中で袖の穴を見つけて手を通す → 襟から頭を出す。

この手順のどこかでつまずいてしまうと、混乱し、それ以上先には進めなくなってしまうのです。

次ページには、このストーリー内にアイコンの形で登場した「心身機能障害」と、その障害が原因と考えられる生活の困りごとを一覧にしてまとめています。ご自身や家族、周囲の方の困りごと・生活環境を振り返る参考にしてみてください。

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