早期退職で58歳からの書店人生。いまになってわかる「生きがい」とは
昨年、「リトル書房」という兵庫県西宮市にある本屋さんが閉店しました。あの「甲子園球場」から10分ほど歩いた住宅街にある10坪ぐらいの小さなお店です。
閉店時にごあいさつにうかがうと、店主の後中さんは「本屋さんを開業して街の人になれました」と語ってくれました。
閉店自体はさみしいですが「街の人になれた」という7年間はとても豊かなことだったのでは。それを裏付けるように、元同僚のみなさんからはとてもうらやましがられたといいます。改めて後中さんに話を聞いてみました。
早期退職の退職金で開業
―:
まずは7年間お疲れさまでした。
後中さん:
どうもありがとうございます。ほんとうにお世話になりました。気がついたら7年たっていたみたいな。そんな感じです、正直。
ー:
お店を閉めることにしたのはどういう転機だったんでしょうか。
後中さん:
去年ぐらいから売上が厳しくなってきて。でも、もともと65歳というのを一つの区切りとしては考えていたんです。お店を始めたのが58歳になる年だったので、ちょうど7年ですね。
ー:
定年の年、ということですか。
後中さん:
もともとサラリーマンをやっていましたから。わたしの同期は60歳でだいたいみんな定年を迎えて、そのあと本人の意思があればシニア社員といって65歳まで勤められるんですね。
ー:
もともとはどちらにお勤めだったんですか?
後中さん:
文具メーカーの「KOKUYO」です。「キャンパスノート」で有名ですよね。35年間働いて早期退職で会社を辞めました。50歳ぐらいのころに、会社で「セカンドキャリアをどうするか考えてみましょう」といった人事研修があって、そのときに、今後どうしようかな、って考え出したんです。定年まで働くつもりがなかったんですね。
ー:
それはなぜです?
後中さん:
60歳まで働いて「さあ、次どうしよう」っていうのもしんどいかなと。まだ頭も体も動くときに次のことを考えたいと思っていたんです。退職金が割増になる優遇措置みたいなものがあって、それを使って本屋さんを始めたんです。
―:
早期退職の退職金で。
後中さん:
ただ、いろいろ調べていると開業には資金も相当かかるかなと、最初はあきらめていたところだったんです。ほかの本屋さんに話を聞きにいっても「(儲からないから)本屋をはじめるなんて狂気の沙汰」とまで言われることもありました(笑)。
―:
それからどうしたんですか?
後中さん:
ネットでなんかやれることないかなと探していると、名古屋を拠点に出版流通や書店を展開する「新進」という会社で書店開業支援をやられていることを知って、お話を聞いてみたんです。
ー:
そうなんですね。
後中さん:
「新進」さんが親身になってくれて。フランチャイズという形なら、早期退職で出る資金の中で改装費や保証金もまかなえそうだと。在庫も委託のため、いわゆる在庫リスクが少ないということも後押しになってすすめていきました。
街が望んでいた本屋さん
ー:
そもそも、なぜ本屋さんだったんですか?
後中さん:
本が好きで「本屋さんいいな」っていう思いはあったんです。実はわたし、ここから5分ぐらい歩いたところに自宅があって、甲子園に住んでもう25年ぐらいになるんですけど。
ー:
以前から住まわれていたんですね。
後中さん:
もともと宝塚市の出身なんですけど、小さいころから野球が好きで、甲子園球場にはよく遊びに来ていて大好きな街でした。
この街のみなさんに喜んでもらえたらうれしいな、という気持ちがあったので。本屋さんなら近所の方々に喜んでもらえるかなとはじめたんです。
―:
街の人に喜んでほしいから、本屋さん。
後中さん:
お店をはじめるときに同期と話をしてて、そのときに「本が好きで甲子園が好きやから本屋をはじめるんやない?」って言われて、「まさにそうやね」って話をしていたんですけど。
ー:
物件探しはどうしたんですか?
後中さん:
実はお店の場所もまだ決めてない段階で、本屋さんをやりたいという思いだけで商店会の会長さんに会いにいったんです。お店の前の旧国道の界隈には「甲子園けやき散歩道」っていう商店会があって。
ー:
そうなんですね。
後中さん:
この近所で本屋さんを始めたいことと、場所が決まっていないことを正直に伝えると、「そしたらまずお店探そうか」と話がすすんで。
ー:
一緒に探してくれたんですね。
後中さん:
これはあとで聞いたんですけど……商店会の加盟店のみなさんで「やっぱり本屋さんとかあったらいいよね」って話をされたらしいんですよ。
ー:
後中さんが足りないピースだった!
後中さん:
そうそう。たまたまわたしが話に行って「本屋さんやりたいんです」って話すととても喜んでいただいて。「やあ、近所に本屋さんができてうれしいわ」っていうことを言っていただいたんです。
やってみたら語りつくせないほどご縁ができた
後中さん:
そういったこともあって、ますます「地元のみなさんに喜んでいただけることをやりたいな」という思いが強くなっていきました。
―:
それでいろんなイベントを開催するようになったんですね。
後中さん:
はい、サイン会で作家さんに来ていただき、地元のみなさんに参加してもらおうと、自分なりに考えてやってきました。
―:
反応はどうでした?
後中さん:
リピートしてくれる方もいて、そうなるとご近所のみなさんとも顔見知りになってくるし、日ごろ週刊誌を買っていただいている方はかならずこの曜日には来て、世間話とか野球の話とか、ご近所のイベントを教えてくれたり。地元の方との交流がどんどん広がっていって。
ー:
読み聞かせも精力的に開催されてましたね。
後中さん:
生後6ヶ月ぐらいで来てくれる赤ちゃんとお母さんもいて、うれしかったですね。お母さんが喜んでいるのを見ているとやっぱり赤ちゃんにも伝わるので、子どもも喜んでくれるんですよ。
ー:
そうですよね。
後中さん:
読み手の方も非常に子どもが大好きなので、そういう気持ちがたぶん伝わるんだと思うんですけど。通算で167回も開催していたみたいです(笑)。
―:
そんなに!?
後中さん:
もう7年やっていると、来てくれる親子も入れ替わっていったり。
ー:
子どもが大きくなって。
後中さん:
そうですね。最初に来てくれた子どもがある程度大きくなって、今度、下の子ができて一緒に来てくれたりとか。
ー:
いいですね、地域の子どもたちの成長を感じるというか。
後中さん:
うれしいです。ほんとに楽しいですよ。
―:
いろんな世代と交流できていたんですね。
後中さん:
そうですね。イベントやサイン会の開催を通してたくさんの作家さんとも交流させていただきました。とくに増山実さんとは同い年ということもあり、何度もサイン会に足を運んでもらってほんとによくしていただきました。
―:
そうだったんですね。
後中さん:
増山実さんとのつながりで西宮のローカルFM番組にゲスト出演することになったり。そこからラジオ局の方やリスナーさんもお店に来てくれて。ほんとに本屋をはじめてから語りつくせないほどたくさんのご縁をいただきました。
「個人として役に立っている」という生きがい
―:
改めて会社勤めのころと比べてどうですか?
後中さん:
それまでは家と会社との往復だけだったので、大好きな甲子園に住んでいてもまったく地域のみなさんと交流する機会がなかったんです。だけど、それがもう一気に広がりました。
―:
そうですよね。
後中さん:
それこそ、そのままサラリーマンで65歳まで働いていたら絶対経験できない体験や、知り合えなかったような人と交流ができたっていうところで、自分としてはよかったなと思います。
ー:
いま、同期のみなさんもちょうど退職されて、第2の人生というか。
後中さん:
去年ぐらいから同期たちから「来年ぼくもシニア社員が終わるんだけど、どうしようかなと思ってね」みたいに聞かれることがあって。やっぱりみんなから憧れられるというか、「いいな」っていうのは言われますね。
ー:
それはどういうところですか?
後中さん:
わたしも定年まで働いて、さあ65歳になって次どうしようかと考えたらきっと「なにしたらいいか、わからんなあ」って思うと思います。
ー:
仕事が充実してた分、それがなくなったら戸惑う方もいるでしょうね。
後中さん:
そうですね。会社を通じて世の中の役には立ってきたとは思うんですけど、いち個人として世の中の役に立っているっていう実感がなかなか感じられないんですよね。
お店をはじめてみなさんとお話しさせていただいて、それこそ本買って喜んでいただいたり、イベントに来て楽しんでいただいたりするのを見れると、みなさんのお役に立てているな、という「実感」が持てたので。
ー:
実感。
後中さん:
ある意味、生きがいというかやりがいというか、そういうところはほんとう大切なもんだなって思っていますね。
お金よりもはるかに大きな宝物
ー:
色紙や寄せ書き、すごいですね。
後中さん:
閉店のお知らせをしてからたくさんの方に来ていただいて。飾らせてもらっているような色紙や絵。思い出をつづった本も作っていただいて、それをもらったりとか。
ー:
このTシャツもすごいですね。
後中さん:
常連さんが、「閉店するんやったら記念になるというものを作りたい」っておっしゃっていたので。いろんな人に声かけさせていただいて。みんなに好きな本の名前と一緒に寄せ書きしてもらったんです。
ー:
はじめる前は「本屋をやるなんて」みたいなことを言われたわけですけど。いま、こういうの見ていると……。
後中さん:
いやお金じゃないです。7年間楽しかったです。ほんとうに楽しくやらせていただいて。お金はそんな関係なくて、それよりも得たもののほうがはるかに大きいので。どんな方ともお知り合いになって交流ができて、それがこれからもできれば続けていけると。書店としてではなく個人として交流も続きますし。
ー:
たしかに、つながりが消えるわけではない。
後中さん:
そうですね。そういうつながりは大切にさせていただきたいなと思っているので、つながっていければいいかなと。
ー:
お店がひと段落したらどうしうようかな、というのはあるんですか?
後中さん:
商店会にずっとお世話になってきたので、事務局的なお手伝いをさせてもらえないかお願いしているところで、そういうつながりは持っていきたいと思っています。
ー:
いいですね。つながり続けるという。
後中さん:
いい勉強もさせてもらえましたし、経験もさせてもらえましたし。多くの方々とお知り合いになって、交流ができたということが自分としては一番大切なものなので、大切にしていきたいと思っているところです。
ー:
ありがとうございます。
リトル書房・後中さんとともに出会いの詰まった7年間を振り返りました。人と人を結ぶ、それが街の本屋さんの魅力であり、それを生きがいとして働けることは、とても素晴らしいことだと思いました。そして、後中さんの軌跡にこそ、街に本屋さんを残していくそのヒントを見たような気がします。
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