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『地球の歩き方』でノーベル平和賞が獲れる。創刊からトップ・オブ・ガイドになるまで

大学受験に「赤本」があるように、一人旅には『地球の歩き方』がある。
それぐらい世界中の旅情報を掲載しているガイドブック。本棚にずらりと並んだ中から旅先を選び、ボロボロになるまで使った、という方もたくさんいるはず。

日本人がパスポートを取得できるようになったのが1964年、一般の人でも海外旅行ができるようになってきた79年に『地球の歩き方』は創刊されました。『地球の歩き方』の歴史=日本の旅の歴史そのものでした。

そんな書籍がどうやってできたのか。そして創刊から約40年、ネットに旅情報が溢れるようになった現代をどのように捉えているのか。今年発売され、異例の重版を重ねている『地球の歩き方 東京』と『世界244の国と地域』の制作秘話も交え、『地球の歩き方』に古くから携わるお二方に話を聞いてみました。

聞き手は、自身も学生時代に、一人旅をたくさんしてきたライツ社代表の大塚と、前職でずっとガイドブックを作っていた編集の有佐です。

●プロフィール

宮田崇(みやたたかし)
『地球の歩き方』第二編集部編集長。大学1年生でインド旅行したのを機に、本格的に旅の魅力に開眼。『地球の歩き方』でもインド担当になり、1997年以降は毎年インドへ“帰っている”という。これまで訪れた国は72カ国。

梅原トシカヅ(うめはらとしかづ)
編集者として30年以上『地球の歩き方』の制作に関わる。フィジー・トンガ・サモア編を皮切りに、数々のタイトルの初版で企画から取材、撮影、執筆、編集、レイアウトデザインまで手がける。そのほか、担当は島国、アジア、中東、アフリカ、ギリシャなど。自身はアジアや中東好きで東南アジアなどの書籍も制作。

『地球の歩き方』がトップ・オブ・ガイドになるまで

梅原:今はきちんとした出版社ですけど、創刊当初はホントに旅人が本を作って、それで投稿頂いて、読者の生の声をそのまま載せたりして、それがおもしろかったんですよね。

宮田:ロールプレイングゲームみたいでしたよね。確実にそこに正解があるかどうかわからないんだけど、とりあえず行ってみるという。宝箱を開けたら空だったとかね。

大塚:そういうときこそ、歩いている感覚になりました。

宮田:そうそう。

梅原:「地球の迷い方」なんて言う人もいましたけれど、我々はそこからどう脱却するかをすごく頑張ってきたので、そう思ってくださる若い方たちがいたのはちょっと嬉しい話です。

大塚:『地球の歩き方』という企画は、どういう始まりだったんですか?

宮田:経験は梅原さんの方が全然わたしより上ですが、一応版元としてわたしが話します。『地球の歩き方』の成り立ちは、1979年にはじめて一般発売されました。これは表紙に「1日3000円で周る個人旅行ガイド」という形で明確に金額が載っていたんですけど。当時主流だったのはパックツアーだったので、個人で海外に旅行するという発想自体がなかった。そこに個人で旅しなさいよっていうので、ゲリラ的な文を出したのが始まりです。

大塚:それで旅人が本を作ったみたいなことに。

宮田:そうです。それで個人旅行の門戸が開かれた。当時はラーメンが1杯300円とか250円の時代に、ヨーロッパの往復の航空券って何十万円もしたんです。

梅原:そうですね、当時まだ一般市場で格安航空券というのがあまり認知されていない時代だったので、みんな買うときはそのぐらいの値段を出していたと思うんですね。だから個人旅行ができなかった。

宮田:なので初任給10万の時代に4倍ぐらいするチケットを買っていくって考えると、今の感覚で言うと100万円かけてヨーロッパ行くみたいなイメージですよね。その物価において『地球の歩き方』は当時でいうと4000〜5000円ぐらい。でも「この一冊がないと生きて帰ってこれない」という思いで、梅原さんたちは作っていたはず。

梅原:航空券が高かったこともあるんですが、現地で生活するのもとても高かったんですよ。当時、「1日10ドルで過ごす」という海外の和訳本があって、「1日10ドルでヨーロッパって周れるんだ」っていう認識が広まった頃だと思います。

大塚:確かにきつかったですね、お金のない学生にとってもヨーロッパは。最初はほぼ投稿でできていたんですか?

宮田:ダイヤモンド・ビッグ社というのが、「BIG」じゃなくて「ビジネス・インフォメーション・ガイド」の意味だったんですね。1979年に発売する前に、就職情報を集める会社で、内定辞退されないよう学生を囲い込んで1ヶ月海外に連れて行っちゃえみたいな。それで参加した人に体験談を書いてもらって、それを翌年の参加者に無料で配ったら大変好評だったんです。という意味で、地球の歩き方=投稿のイメージは、一番最初の頃の成り立ちに関わってくるんですね。

今はもちろん梅原さんが仰ったように、投稿が来てもきちんと裏を取ってから掲載していますけど、当時はみんなから集まったものをそのまま載せていたので、カオサン通りのどこかにドレッドをかけてくれる美容室があるとかいう情報で2時間彷徨ったりとかね。そういうことが起こってしまったんです。

梅原:今と違って確かめようもなかったんですよね、当時は。それを追い掛けていく手段がなかったので、国際電話もものすごい高い時代でしたから、めったなことでは使うなと言われていましたし、そんな時代でしたね。

大塚:そこからでも、僕が大学生の頃は完全に『地球の歩き方』がトップになっていて、そこにいくまでどういう風に成長していったんですか?

梅原:いつのまにか成長してましたね。『地球の歩き方』って今でも初版を作った方が大勢まだ継続して作っているんですけど、わたしも仲間の一人ではあるんですが割と後半の方なんですね。ちょうど32〜33年くらい前に一気にタイトル数が増えていったんですよ。

大塚:最初は何だったんですか?

梅原:一番最初はヨーロッパ編ですね。

宮田:ヨーロッパと同時発売でアメリカで、その2年後にインドができるんですね。あとは出したい順でしたね。ヨーロッパの田舎がけっこう前にあったり、メキシコとかも早かった。

梅原:あれは理由があったんですよ。メキシコが早かったのはアメリカを放浪するついでに寄って行く先にあった国、ヨーロッパの旅の先にあったのがモロッコとかヨルダンで、そういうタイトルが早かったんですよ、旅の流れと同じように。当時の旅のスタイルがまんま本のタイトルになっていたんです。

ネットの普及で変わったこと

大塚:当時はインターネットがなかったから、『地球の歩き方』が旅の命綱だった、というイメージは湧くんです。でも、僕が2000年代に旅を始めたときは、「mixi」で現地のコミュニティに入って「泊めてください」ってお願いする、みたいなことをやっていたんですね。最初に一人旅をしたトルコに行ったとき、いきなりは怖かったから、現地の日本人に1人だけ連絡をとっていったんですよ。そうやってインターネットが出てきて旅が変わったと思うんですけど、それでも変わらずに大切にしてきたことと、変えたことがあれば知りたいです。

宮田:まず、「地図外」の情報をどうするかということが一番大きくて。普通、地図が掲載されていたら、ここの地図の中を歩いている限りにおいては安全を保証するわけですよね。危ないエリアがあったらそこは地図から削っちゃえばいいわけだし。だけどインターネットができて、物件(スポット)ありきで逆引きするので、そうすると地図の範囲取りが変わってしまうんです。

たとえば、香港の普通のマンションがすごいバズったから観光地になっちゃって。でもそこって普通の住宅街だから、本当は観光地ではないから載せる必要がないけど、人が行くので載せざるを得なくなるとか。みんなどんどんGoogleマップ使って歩くようになっちゃって。そこが危険かどうかの情報を持ってない状態で、危なくないようにどう行かせるか、気を使うようになりました。

大塚:作り手としてはすごい大事なことですよね。一方で、昔から、それでも地図に載ってないエリアに行っていた旅人はたくさんいて、「もっと『ロンリープラネット』だったらこっちのエリア出ているよ」とかいう視点もあったり。

宮田:それは英語ができる前提だからそこまで載せているんだろうなと思います。日本人って今は変わってきましたけど、基本的に英語が話せない前提で旅をさせなきゃいけないので。

独特の空気感は国ごとに編集長がいるから

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大塚:『地球の歩き方』は、作り手の主観をすごく感じるんですよ。著者はいないのに、誰かが書いている感じがするのは、どうしてなんでしょうか?

梅原:さっきお話したみたいに、タイトルの多くを初版を作った人たちがまだ継続して作っているっていうのがあるんですね。『地球の歩き方』って、タイトルによってテイストが全然違うんですよ。文書のテイストも違うし、レイアウトも全部違うし、それぞれの作り手のカラーがすごくはっきり出ているんですね。

大塚:国ごとに編集長がいるみたいな感じ。

梅原:そうですね。もう初版の頃って割と一人で取材に行って一人で書いて一人でレイアウトまでやっちゃうっていう時代だったんですよ。誰も咎める人がいなかったので自分のスタイルで本を一番最初に作ってしまっているんですね。そのカラーが残っているのも事実です。

大塚:だからやっぱり、インドは変わらずあの独特の空気感?

梅原:インドは、この間また大リニューアルをしたんですね。

宮田:大リニューアルしてメンバーも一新したんですけど、残さなきゃいけない文章っていうのを全部ハイライトして抜き出して、何ならこれはっていうので初版に載っていた「インドへのいざない」の言葉をもう1回載せたんですよ。

インド。それは人間の森。
木に触れないで森を抜けることができないように、
人に出会わずにインドを旅することはできない。
インドにはこういう喩えがある。

深い森を歩く人がいるとしよう。
その人が、木々のざわめきを
小鳥の語らいを心楽しく聞き、
周りの自然に溶け込んだように自由に歩き回れば、
そこで幸福な一日を過ごすだろう。
だがその人が、例えば毒蛇に出会うことばかりおそれ、
歩きながら不安と憎しみの気持ちを周りにふりまけば、
それが蛇を刺激して呼び寄せる結果になり、
まさにおそれていたように毒蛇に噛まれることになる。

インドは「神々と信仰の国」だという。
また、「喧噪と貧困の国」だともいう。
だが、そこが天国だとすれば、
僕たちのいるここは地獄なのだろうか?
そこを地獄と呼ぶならば、ここが天国なのだろうか?
インドを旅するキミが見るのは、
天国だろうか地獄だろうか?

さあ、いま旅立ちの時。
インドはキミに呼びかけている
「さあ、いらっしゃい! 私は実はあなたなのだ」

この人間の森の文章も版を重ねるごとに、それこそ倫理的にどうなのとか、文章としては正しくないのではないかとか、そういう話が出てめんどくさいから削ってしまう、という作業をどうしてもみんなやってしまうんです。

でも、わたしもインドがすごく好きで、1997年から今年までは毎年帰ってたんです。わたしからすると『地球の歩き方』に入って何が良かったかというと、書庫で過去の本を読み放題っていう。Kindle Unlimitedどころか「地球の歩き方Unlimited」で、会社入って3年くらい、梅雨の時期とかって旅したくないので、会社に土日来て書庫でずっと歩き方の過去本読んでいて……。

大塚:そういうイベントにしたいくらいですね。

宮田:めちゃくちゃおもしろいですよ。インドの初版の言葉とか読むとグッとくるものがあって、この言葉は自分が担当になったらやっぱりもう1回掲載したいなと思っていて、幸いなことに今インドの担当になったので入れちゃいました。

大塚:やっぱりそういう風に歴史を守られている方がいるんですね。この前ちょうどYahooニュースに上がった記事で、宮田さんは初代編集長さんの言葉を引用したのかな? あの言葉にも唸りました。

「創刊当時の編集長に〝この本の当初の使命は読者をこの1冊で空港から旅立たせ、再び日本の空港に、きちんと生きて帰すことだった〟と聞いたことがあります」

宮田:安松さんの言葉ですかね。

大塚:そうです。それを目にしたときに、「そういう風に僕は守られていたんだ」と思って、いち読者として感動したというか。

宮田:すっと入ってきますよね。たとえば道に迷ったりとか物件が潰れてたり鉄道が1本なかったりとか、「なんだよ」って思うときはあっても、結局は空港には降り立つわけで。帰ってきて3日くらいは「真面目に勉強しよう。なんて恵まれた環境で僕は生きてるんだ」ってなりますよね。でも4日目ぐらいから次の旅行先考えちゃうんだけど、『地球の歩き方』って、確実に日本に再び足を踏めるようにしてくれる本なんだって、その安松さんの言葉を聞いたときに「なるほどな」と思いました。

シリーズ初の国内版は超大変だった

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有佐:次は新しい本の話に移りたいと思います。今年出た「東京」編ですがどういった意気込みがありましたか?

宮田:わたしがマネージャーになる前から当時上の人、編集長とか経営に、「もっと『地球の歩き方』っていろんなところとコラボしたり遊んだりとかやんないんですか」って言い続けてきて、でもガイドブックの改訂が優先だっていうのがあったんです。

でも、オリンピックが東京に決まった7〜8年前から、「東京」作りたいなという思いだけはずっとあって。でもまず、みんなどんなに大変かっていうのはわかってるから受けてくれないわけですよ。

有佐:気が遠くなりますね。

宮田:わたしも諦めていたところに、別の部署で、インバウンド事業の編集部にいた斉藤って子が、異動してきたんですね。すごく東京のこと詳しいし、外国人をもてなす視点を持っているし、元々日本人としての東京の楽しみ方も知っているってことで、すぐ声を掛けました。

スタッフは、たとえばカメラマンの岩間幸司さんは、エジプトとかトルコを長年撮り続けている方だったり、メインの編集者の小山さんは、グアムの初版の頃から作ってくれている方だったり、伊藤伸平さんは、『地球の歩き方』に今関わってる中で一番長くて、39年関わっていただいている方だったり。かなり歴史ある方を束ねて、根性で作っています。

有佐:実際どんなところが大変でしたか?

宮田:掲載した全物件への確認出しが途方もない作業で、それだけで数百件ありました。日本語が通じるので、みなさん思い思いの意見をいただくので、それを調整するのはすごく大変でした。

梅原:わたしは直接は関わってないんですけど、担当者たちに聞くと、ちょうど最後の裏取りの時期が外出自粛期間とぶつかっちゃったんです。でも調べなきゃいけないっていう、そういう大変さもあったみたいです。

宮田:オリンピック関連施設の情報をごっそり落としたり、横丁系、ゴールデン街とか、全部取材ができなくなって、特集がいくつも消えて苦労はしてますね。

もはやガイドブックではない?編集方針

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有佐:エリアの選定で重視したところってありますか?

宮田:あります。東京をきちんと知ってもらうためのガイドなので、やっぱり東京の起点となる「日本橋からエリアガイドは始まる」というのはすごく重要視しました。

大塚:『地球の歩き方』ってガイドブックではもはやないですね、ある意味では。

宮田:「その街を知るための本」っていうのが、たぶん表現としては適切です。それが歴史のページなのか文化のページなのか料理のページなのかは人によって別ですけど、『地球の歩き方』を読み込めば読み込むほどその国のことが好きになっちゃうんですね。

大塚:消化されるガイドブックでは全然ないってことですね。

有佐:「東京」にも歴史の記述がすごい豊富ですね。

宮田:『地球の歩き方』ってもともと、たとえば「ここが城塞都市であった」みたいな街の成り立ちが書いてあって、だからこんな丘の上にあるんだというのがわかったり。たとえば、関西ですよね? 会社。

大塚:はい。

宮田:大阪の橋は商人が全部架けて、江戸の橋は全部おかみが架けたとか、そういう違いも。「大阪」編が出たら間違いなくこんな橋のコラムを書きますよね。

有佐:めちゃくちゃ出してほしい。

梅原:大阪は怖くて手が出せないですね。

宮田:ちょっと無理ですね(笑)。何人か半年住み込みで現地で動いてもらうぐらいやってもらわないと、たぶんできないですね。

兄弟本『世界244の国と地域』は1人で書いていた

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有佐:ありがとうございます。続いて『世界244の国と地域』ですけど、企画の話はどういうやりとりがあったんですか?

梅原:もともとはわたしから、世界をまとめた企画、例えば世界の国のいろんな「こんにちは」という言葉を集めた本を作ったらどうか、と宮田さんの方にお出ししていたんです。「東京」編が進んでいるとき、宮田さんの方から「開会式のときに眺めながら見られるような本を作りたい」と話があり、いままでの企画を全部合わせて一冊本を作ろうと話が進んだんです。

大塚:確かに、これを読めば海外から来られた人を迎える準備ができますよね。一言でも会話できたら嬉しいじゃないですか。

梅原:そうですね。最初は同時発売で同じ体裁でっていう予定で、諸事情によりちょっとずれていったんですけど。

有佐:この本の大変だった部分は?

梅原:実は、制作というか執筆の期間って1ヶ月ないんですよ。3週間ほどで仕上げたんですけど、ちょうど自粛期間だったとき、むしろ集中できたからか、特別大変だったって記憶はあんまりないかもしれないですね。

大塚:各国の担当者が書いたんですか?

梅原:あ、違います。本文に関してはわたしほぼ1人で書きました。ちょっと特殊ではあるんですよ。『地球の歩き方』の制作者たちは、その国のスペシャリストな方が多いんですね。でもわたしはそういったラインナップがすべて出たあとくらいに関わりはじめたので、各国を俯瞰できるような情報は、ある程度頭にあったんです。それをそのままザーッと一気に書き上げた上で、数字はそのあと一つひとつ調べていったという形です。

有佐:すごい……。

梅原:あと、この本は本文もそうですけど、雑学の部分がおもしろいと思うんですね。わたしが書いているうちにスタッフたちが雑学の情報を集めてきて、おもしろそうなものをどんどん載せていって、それが返って良かったかもしれないですね。

大塚:お気に入りの雑学ありますか?

宮田:わたしのお気に入りは、表4のところに全部まとめました。「マジかこれは知らなかった」みたいなネタがいっぱいあったので。だって、「オーストラリアの水道水にフッ素が入っている」とか全然知らないんです。

梅原:雑学チームがもうあらゆる方面から引っ張ってきて片っ端から調べたっていう、本当にコツコツとした努力の集積です。

宮田:別の編集者の方が、「わたしの担当している国こんな雑学あるんですね、次の改訂版で入れよう」なんて言ってました。

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「売るものがない」売り場にハマった

大塚:最後に、やっぱり今年は出版業界にもいろんなダメージがありましたが、『地球の歩き方』はやっぱり大きなダメージでしたか?

宮田:もう壊滅的なダメージですよ。書店さんがまだ棚を維持してくれているところはいいんですが、海外旅行の棚自体がなくなったところもありました。アームチェアトラベルとともに使う本(家で眺めるためのガイドブック)でもないので。売上も半分どころかもうバーゲンセール状態まで落ちたんですね。本来、『地球の歩き方』の書棚には、ニューヨーク、パリ、ハワイが置かれてますが、その平積みのところに5面とかで、今回の新刊を積んでもらっているんですが、結果、すごく売れたのは不幸中の幸いというか。

大塚:ライツ社も、紀行文を9月に出版したんですが、書店員さんから「待ってました!」みたいな反応もいただきました。地図・ガイドコーナーに「売る物がない」という状況で、この2冊は待望の本だったんだろうなと思います。

宮田:そうですね。「オリンピックに参加だ」っていう勢いで作っていたものがありがたがられて、非常に自分の心の中では申し訳ないなっていう気持ちもありますけど。でも勝てば官軍。で、『世界244の国と地域』は3刷が決まって、「東京」はまだ2刷が納品されてないのに4刷まで決まって。(取材当時)

この取材は10月上旬に行われたものです。11月16日にダイヤモンド・ビッグ社が営む『地球の歩き方』等出版事業およびインバウンド事業を、2021年1月1日に学研プラスに譲渡することを発表しました。制作体制は変わらず事業は継続される予定です。
https://gakken-plus.co.jp/news/info/20201116.html

『地球の歩き方』でいずれノーベル平和賞が獲れる

大塚:あとひとつ、お聞きしたいんですけど、ライツ社で『この世界で死ぬまでにしたいこと2000』という本を、「TABIPPO」っていう会社と作ったんですね。「旅で世界をもっと素敵に」っていうのが理念の会社なんですけど、日本人のパスポートの所持率がなんと23%で、それが全然増えない。それをどうにかして増やしたいと思って、ずっと頑張っているんです。この「パスポートの所持率23%」っていうものに対して何か思うことをお聞きしたいなと思うんですが。

梅原:なんでなんでしょうね。『地球の歩き方』の初代編集長がお酒を飲んだ席でよく最後に言ってたのが、「僕は『地球の歩き方』でいずれノーベル平和賞が獲れると思うんだよ」って言っていて。それがどういう意味かというと、旅をすることで訪れた国に対する思いやりができるようになるんですよね。

たとえば天気予報で、知らない町の天気予報を気にするかというとまったく気にしないんですけど、一度でも訪れたことがあるとか、この間旅をしてきたという町の天気予報はつい見たりしますよね。それと同じことで、旅をしてその国を訪れれば、その国に対する思いやりができる。それが広がっていけば、小さな一つひとつの旅が世界の平和につながっていくってすごい大きな話なんですけど。

それがバーチャル体験でできるかというとやっぱりちょっと限界があるとわたしは思っていて。旅って見るだけではなくて、言葉を聞いて、匂いもそうだし、味、そういう五感でその国を知らないと旅したことにはならないと思うので、そういう実体験をする素晴らしさを伝えられるようなことをこれからやっていけるといいなと思っています。現実的にそれをどうしたらいいかっていうのは、これからまた宮田さんと企画を考えて。

大塚:僕らも一緒にできることがあれば。

梅原:ぜひ。

旅がある人生とない人生

宮田:うらやましいなと思いますよ。「TABIPPO」さんのやっていることって、僕もすごく素晴らしいことだと思っていて。とにかく若いうちに旅に行かないと、もう行かないんですよね。人生に旅が組み込まれなくなるから。たとえばマクドナルドに子どもを3歳までに連れていったら、きっと一生ハンバーガーとポテトを食べてくれるってのと一緒で、旅そのものに早いうちから関わらせないとパスポートの保有率は上がらない。いま「旅育」が注目されていますけど、小学校中学校のうちにもっと旅に行かせる環境にするためにどうすればいいのかっていうのが一つの課題だと思います。

大塚:人生に旅が組み込まれているかどうかで、楽しさが変わる気がしますね。

宮田:旅に1回行っちゃえば、たぶんもう二度と戻れないというか。

梅原:最初にどこに行くかですけどね。最初は確かにトルコはいいかもしれないですね。冒険的ではありながら、でもトルコ人というとてもやさしい人がいる、非常に旅のしやすい国だと思います。

宮田:でも、いろんな国に行ったからですけど、シリア人ってやさしいですよね。

梅原:シリア人はやさしいですね。シリア人に限らずアラブ人はすごくやさしいですよね。

宮田:だからそうすると、世界を公平に見るとアラブ人のやさしさって際立っている。イスラムの方たちのすごく真面目な姿とかを僕たちはこの目で見てきたわけで、日本でニュースだけ見ていたら、「なんか別の宗教に熱心な人たちだな」で終わっちゃうと思うんですけど、自分が旅の途中で体験して助けてもらったりすると、世界の見方が変わるかなっていうのはありますよね。

梅原:そうですね。本当に、日本で持っているイメージと実際旅してみると全然違う国って本当にたくさんあるので。

有佐:本日はありがとうございました。重みのある言葉がたくさん聞けてよかったです。

日本人の海外旅行の歴史とともに歩んできた『地球の歩き方』。今回、圧倒的な大先輩にお話を伺うことができ、編集をされてきた方々は真の旅好きであると同時に、制作側として「旅人たちを安全に日本に帰す」というプライドを持って本を作っていることが伝わり、背筋がのびました。ガイド本なのに世代を超え、これだけ長く読み継がれるのは、相応の努力と愛があるからだと感じました。


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