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屋久島発の出版社。東京から1000km離れても出版社ってつくれるのか?

世界遺産の森で知られる屋久島。その大自然溢れる島に「出版社がある」って知っていましたか? 

先日「サウンターマガジン」第3号を発売したばかりのキルティという会社です。代表の国本さんは大阪と東京で編集と出版広告を経験したのち、屋久島の大自然に魅せられ、ついに移住。屋久島で出版社を立ち上げました。

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鹿児島市から南に約135Km、約1万3,000人が住む屋久島。東京からは約1,000km。羽田-鹿児島-屋久島と飛行機を乗り継ぎます

出版社の約80%が東京に集中している中、「机と電話が一台あれば出版社はつくれる」(いまはパソコン)なんて言葉もありますが、正直なところ離島で出版社なんてできるの? そんな疑問を解消するべく、代表の国本さんに直接お聞きしてみました。

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国本真治(くにもとしんじ)
大阪出身。大阪の編集プロダクションを経て上京、INFASパブリケーションズに入社。15年間「WWD JAPAN」や「STUDIO VOICE」という媒体を担当したのち独立。2018年9月にキルティ株式会社を設立して「サウンターマガジン」を年2回発行している。「サウンターマガジン」の「サウンター」は「ゆっくり歩く」「散歩する」という意味。


移住してみたけど、雑誌が作りたくなった

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―屋久島へはどういった経緯で移住されたんですか?

国本さん:2011年に震災が起こったとき、娘が生まれて間もない頃で。そこで東京への思いが一度途切れたというか。「東京にこのまま住み続ける」ということに疑問を持ち始めたんです。

そんなとき、屋久島に移住していた友人が東京に遊びに来たことがあり、「屋久島に移住してくれば?」なんて誘われて。翌年、屋久島に遊びに行ったんですが、すごく良いところで、その時点でもう「住もうかな」と感じてました。

ー屋久島のどんなところに惹かれましたか?

国本さん:大自然が間近にあって、島自体に惹かれたというか。強いて言えば水がまったく違います。全国でも指折りの雨量地帯の屋久島は超軟水なんです。肌でわかるぐらい、トロッとした感覚で。水はすべての基本なので、ごはんも美味しいし、シャンプーの洗い上がりも東京と違って驚きました。

ーそれは体感してみたいです。

国本さん:その時期に、同じ会社の身近な人がなくなったりもしたんです。やりたいことはすぐ行動に移すべきだと思いました。

―それはショックですね。

国本さん:私が東京で働いていれば最低限の収入はあるので、先に妻と娘を屋久島に行かせて、私は東京で単身赴任をしていました。今まで家族で住んでいた家賃で、妻と娘が住む屋久島の家と私が東京に住むアパートの家賃、あと月1回分の東京-屋久島間の飛行機代はまかなえそうだったんです。

―そんな方法が。逆単身赴任ですね。

リスクを取る覚悟がある人が、一歩を踏み出せる

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空から撮影した「Ananda Chillage(アナンダ・チレッジ)」であり「キルティ」の本社

国本さん:そんななか、家業として屋久島にホテルとヨガスタジオ「Ananda Chillage」を建設し、その後会社を退職して本格的に屋久島へ移住しました。移住してからは自分の法人を立ち上げて、以前いた会社の業務委託で広告案件を扱ったりしていました。業務委託といっても、勤めてた時の方が収入はよかったですよ。

ーホテルが先だったんですね。

国本さん:出版社をつくるのは最初から決まっていたわけではないんです。漠然とやりたい思いはあったんですが、友人と話すうちに雑誌が作りたい気持ちが大きくなってきて。好きだし、やってて楽しいし。15年間勤めた退職金や、少し大きな仕事で入ってきたお金があり、その資金で「サウンターマガジン」を創刊しました。

ーそうでしたか。資金繰り的には、ホテル建設用に借り入れをした感じですか?

国本さん:そうですね。正確にはホテルやヨガスタジオと、それに連なる自宅も同時につくったので、事業用の借り入れと住宅ローン合わせて数千万円ですね。

ーおお〜。ライツ社も創業時に3,000万借りて、まだ返済が残っています(笑)

国本さん:ちなみに今年はホテルの方も大打撃でしたね。持続化給付金でなんとか乗り切れてますが。

ー出版業の方はどうですか?

国本さん:出版業は自己資金で小さくスタートしたので、今のところ無借金です。ただ、これから少し借り入れようとはしています。サウンターマガジンは儲かるどころか今のところはトントンになればいい方で、単発の編集制作仕事や業務委託の広告仕事でなんとかやれてる感じです。

あと、屋久島は土地が安いので、土地は自己資金だけで買えました。坪単価1万円以下がたくさんありますね。うちはもう少し出しましたが。

ちなみに新宿区で300万円/坪ぐらい、明石市でも40万円/坪ぐらいの相場(SUUMO調べ)

ーたしかに安いです。でもお金を借りる勇気は必要ですね。

国本さん:そのリスクを取るか取らないかが、人生が変わるかどうかと直結するんだと思います。勤めている人の場合、大きく落ちない代わり、大きく上にはいけないですよね。お金の話だけでもなくて、淡々と今の生活が続くだけで。リスクを取る覚悟がある人が、一歩を踏み出せるんじゃなでしょうか。実際、いろんな人に「いい生活だね」と言われますが、私と同じことは覚悟さえあれば誰でもできるから勧めるけど、実際に試す人はほとんどいないです。

ーほかに屋久島で出版社を立ち上げる中で苦労したことはありますか?

国本さん:東京にいたときは出版社の広告マネージャーだったので、広告と編集のことはわかっても、販売の細かいことはわからないという状態。例えば出版取次だったり、直取引の条件だったり、そういったことです。なので、かろうじて面識のあった都内の書店の雑誌担当者に連絡して直取引を持ちかけました。「サウンターマガジン」の創刊号は2000部刷ったんですが、運良く直取引だけでほぼ完売に近い状態です。

―それはすごいですね。

国本さん:それで自信がついて、第2号は部数を倍増させました。直取引の書店数も増やしたんですが、4月1日発売だったから緊急事態宣言で取引書店がほとんど閉まってて……。その分Amazonでの売上は上がりましたが、それでも限界がある。販路を広げないと、ということで、第3号からはトランスビュー(※)にお願いすることにしました。「NEUTRAL COLORS(ニュー・カラー)」という雑誌をはじめた、元「TRANSIT」編集長の加藤直徳さんがトランスビューを利用していて、どういう感じで取引するのかとか教えてくれました。

※トランスビュー:直接取引の業務を代行サービスとして実施している出版社。トランスビューと協業し手数料を支払うことで、本の出荷と決済をトランスビューが代行してくれる。

―やはりインディペンデントな雑誌同士つながりがあるんですね。離島ならではの苦労はありますか?

国本さん:東京と屋久島で2週間ずつ滞在するような2重生活をしているのですが、外出自粛期間があったことで、私自身も探りながら移動しています。以前は東京に滞在中になるべく人と会うようにしていましたが、今は夜の外出を控えています。でも行ける書店さんへはなるべく直接納品していて、その場で追加の発注をいただいたり、イベントの話を持ちかけられることもあります。

ーご本人が来てくれたら書店さんも嬉しいですね。

雪の屋久島をみせたかった

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―サウンターマガジンを読んだのですが、ひとりで作ったとは思えない充実度です。どのように企画が決まってスタートしたんですか?

国本さん:創刊号の写真は、加戸昭太郎さんという一人の写真家に撮ってもらっています。加戸さんは大阪時代の友人で、彼の新婚旅行とうちの家族旅行をセットにしてインドに行ったりと、家族ぐるみの付き合いなんです。別の仕事で彼が屋久島に来た際、いろいろと話しているうちに盛り上がって「じゃあ雑誌作るわ!」っていうのが成り行きですね。

ーどんな話をされたんですか?

国本さん:屋久島って南国ですが標高2000mもあって、九州で高い山の1〜8位は屋久島にあるんです。世界的にみても一周130kmぐらいの島でこんなに標高があるのって屋久島ぐらいなんですよ。だから標高が高いところだけ雪が積もるんです。

ー雪!

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国本さん:麓では南国フルーツがとれてハイビスカスが咲いていると思ったら、山の上では雪が積もりだす、特殊な島。だから「雪の屋久島」を見せたいと思った。そこがスタートですね。ただロケをした昨年の2月は暖冬だったんで、創刊号では雪景色はあまり撮影できず。第2号では、たまたまですが石川直樹さんが撮った雪の縄文杉が掲載されていますよ。

―雪の屋久島、ぜひ実際に見てみたいです。そこからどう制作が進んだんですか?

国本さん:加戸さんの写真でいくと決めたので、最初はすべて屋久島の写真で通そうと思ったんです。でも私自身、100ページも屋久島の写真が続くと「これは飽きるな」と(笑)。そこからいろんな方にエッセイの執筆をお願いしたり、加戸さんの「ラダック」や「シエラネバダ」のページを追加したりして、コンテンツを充実させていきました。

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屋久島に生息する「ヤクシカ」。普通のニホンジカよりサイズが小さい。

―執筆者も豪華ですが、オファーはどのように?

国本さん:養老孟司さんをはじめ、初めて会う方も多かったです。屋久島からオファーしてるのが良かったんじゃないですかね(笑)。東京の出版社から連絡があってもスルーされるかもしれませんが、屋久島から連絡があったらびっくりするでしょ? オファーの成功率は高いのでそこは屋久島でよかったなと思います。

―たしかに、僕自身も「なぜ屋久島で?」と思いました。

国本さん:高いお金を払えるわけではないので、800文字のエッセイ部分はみんな、そんなに高くない一律の料金でお願いしています。それでも書いていただける方、逆に言えばギャラに関係なくおもしろがってくれる方しか受けないと思います。養老孟司さんぐらいの方だと、お金で仕事を選ぶわけではない印象ですね。

―ちなみに養老孟司さんへのオファーはどんな経緯でした?

国本さん:実は調べても連絡先がわからなくって、養老さんが顧問をしている山梨の博物館に連絡したんです。そこから秘書の方の連絡先までつないでいただいて。内容をFAXで送ってほしいというのでFAXしたら、「やります」とFAXで返ってきました。

―FAXなんですね。

国本さん:とてもフラットな方で、大きい仕事だからやる、小さい仕事だからやらない、というのはなさそうでした。銀座 蔦屋書店で発刊記念イベントをするときも、ダメ元で養老さんにオファーしたんですが、「予定が空いている日だったらいいよ」と出演してくださることになったんです。

雑誌を作っている会社が、たまたま屋久島なだけ

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―第2号のラインナップも豪華です。これはどのように作られたんですか?

国本さん:第2号の写真を撮ってくれた石川直樹さんとも20年ぐらいの付き合いで。昨年、北海道の知床国立公園内にできたザ・ノース・フェイス/ヘリーハンセン知床店のオープニングで再会して、その後に香川県高松市で開催された「瀬戸内アートブックフェア」でもたまたま隣のブースだったので、お互いの時間が空いたときにいろいろ喋ってました。それが打ち合わせみたいな感じになりましたね。

ーどんな会話をされたんですか?

国本さん:僕の屋久島の自宅から「吐噶喇(トカラ)列島」が見えるんですが、そこをやりたいと思って。吐噶喇は「日本の最後の秘境」と呼ばれるぐらい情報が少なくて、ネットで検索してもほとんど有益な情報は出てきません。一般的に名の知れた人で吐噶喇に行ったことがあるのは、石川直樹さんぐらいだったんです。そういう話をしたら、屋久島、吐噶喇、奄美を巡る旅「鹿児島アーキペラゴ」というアイデアが彼から返ってきて。

ーなるほど。

国本さん:ちなみに第2号の表紙の絵を担当してくれたGOMAさんは、大阪時代の先輩で18、19歳の頃はよくアメリカ村で遊んでましたよ。写真家の中村力也さんも10年以上の付き合いで、娘のお宮参りの写真も彼に撮ってもらいました。もちろん、友達とだけ作ってるわけではないですが。

ーなかなか濃いつながりですね。

国本さん:中村さんのページは彼の「世界一周してきたから、ベストショットをサウンターマガジンに載せたい」という希望だったんですが、オフショットで撮った奥さんの写真がすごく良くて。世界一周した写真家なんていっぱいいるけど、奥さんにフォーカスしたらより人間味ある企画になるなと思って、彼にそう提案しました。その代わり、旅のベストショットはちゃんとテーマを決めて写真集にして、キルティがその版元になりました。

―制作に関わる方は前職から面識のある方が多いですか?

国本さん:そうですね。東京にも拠点を置いているので、手伝ってくれる外部スタッフは、東京の一線で活躍している人が多いです。そういう意味では屋久島で本づくりをしているというよりも、雑誌を作っている会社がたまたま屋久島なだけ、という感じですかね。

―もう一つお聞きしたいのが第2号から入った大手アウトドアメーカーの広告についてなんですが。

国本さん:本当は創刊号から広告を入れたかったんです。ザ・ノース・フェイス擁するゴールドウインは、もともと前職でも担当していた企業だったので仲も良くて。でもまだ出てもない雑誌に広告出稿するのは無理があり、創刊号では断念しました。第2号では石川さんやGOMAさんがザ・ノース・フェイスと深い親交もあったので、ちゃんと媒体資料や企画書を作ってプレゼンしに行きましたよ。他の企業も同様に1社1社ちゃんと話を聞いてもらいました。そこは雑誌の広告営業をやっていた経験によるところですね。あとはインディペンデントとは言え、広告をもらうからにはそれなりの部数をこちらも刷っているので、その覚悟も伝わったんじゃないでしょうか。もちろん、営業したけど落ちたところもありますよ。

―たしかに、東京で培ってきた力をうまく発揮されてるなと。

国本さん:広告が入ることで、雑誌自体の値段を下げたかったんです。

―2,500円から1,600円に、だいぶ落ちてますね。

国本さん:緊急事態宣言で書店が一時休業になったりで、その効果ははっきりわからないんですが、有難いことにAmazonでは初回納品3ケタが1日で完売、1ヶ月で300冊以上売れました。第2号で実績を出せたからか、第3号のAmazon初回オーダーは500冊来てびっくりしましたけど。AmazonはオーダーがAI判断なので、情け容赦ないんです。ほか、京都の恵文社や大阪のシンワショップといったオンラインに力を入れている書店は、緊急事態宣言下でもたくさん売れましたね。

屋久島に関係なく所有したくなる本を

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―今後の動きはどういったことを考えていますか?

国本さん:サウンターマガジンだけで大きく儲けることは難しいと思っています。創刊号も第2号も採算取れてるかと言われたら難しいです。マネタイズを考えているところではありますが、今後は書籍も作りたいですね。屋久島にはまだまだ題材があるので。屋久島民謡の「まつばんだ」という歌があって、ライターの大石始さんと一緒に、その書籍を作っているんです。

―屋久島というテーマはずっと貫く予定ですか?

国本さん:ライツ社さんも明石ですが、明石に関係なくいろんな本を作っていますよね。それと一緒で、屋久島に関係あるなしにかかわらず、所有したくなる書籍だけを発行していくつもりです。写真が好きな人、屋久島が好きな人はもちろん、世界の民俗的なカルチャーに興味がある人たちに届けばいいなと。

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―先日発売された、サウンターマガジン第3号ですが、今号もかなり豪華ですね!

国本さん:第3号は音楽特集なんですが、過去最高にお金をかけています。水曜日のカンパネラのコムアイさんを屋久島に呼んで撮影したり、表紙の絵は坂本慎太郎(ex. ゆらゆら帝国)さんに描いてもらったりと、かなりの自信作です。このなかでも屋久島民謡に触れているので、書籍のプロローグ的なものになればと思っています。発売後の売れ行きも上々ですよ。

ー今回も読み応えがありそうです。お話を聞いていると、どんどん屋久島に行きたくなってきました!

国本さん:やっぱり屋久島の環境って圧倒的で、夏は仕事中に毎日海に潜りに行ってたし、自由に過ごすことができるんです。それがいいのか悪いのかわかりませんが。でも「クリエイティブな発想は、幼少期の自然体験からしか生まれない」という言葉も聞いたことがあるので、本当にそうなのか娘で実験してるところです(笑)。

―今回は貴重なお話ありがとうございました。

国本さん:ありがとうございました。

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そもそも出版社を立ち上げようと屋久島に移住したわけではなかった国本さんですが、「自分はこれしかできない」とイチから雑誌を作ってしまいました。結果的に国本さんのまわりでは屋久島への移住者が増えていたり、地域にとってもいい結果につながっているようです。そして何より国本さん自身がとても楽しそうでした。

「雑誌を作っている会社がたまたま屋久島なだけ」という通り、大阪・東京で身につけた能力や人間関係を好きな場所にスライドさせていること、実際にそれを発揮できていることがすごいと感じました。自分に置き換えても、今の仕事での経験が別の場所でも輝く可能性があることを教えてもらいました。


サウンターマガジンはこちらからでもご購入いただけます。坂本慎太郎さんコラボグッズもありますよ。


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ライツ社
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