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もう出版不況とは言わせない。これからの出版業界を変える4つの話

「出版不況だ」「本が売れない」と言われはじめ、もう20年ほど時が経ちました。

しかし、面白くて売れている本もあるし、儲かっている会社もあります。そもそも出版業界の未来って本当に暗いのでしょうか? 

今回のテーマは「もう出版不況って言うのやめようよ」。こんな時代だからこそ、新しいチャレンジがしやすい環境なのではないか。そんな希望ある話を聞きたいなと思い、キーマンお二人を明石にお呼びして、とことんお話を伺いました。

4つの話はこちら
1.バカ売れの90年代からの直下とV字回復 (6/25 更新)
2.文化度を上げること=来店頻度を上げること (6/26 更新)
3.書店と出版社で「いまさら」な出会いを増やそう (6/27 更新)
4.「本に関わる人」はもっと自信を持っていい (6/28 更新)

お招きしたのはこの方々。

1人はダイヤモンド社井上直さん(写真左)。
ダイヤモンド社といえば『もしドラ』『嫌われる勇気』をはじめとするビジネス書で知られ、数々の大ヒット作を生み出してきた出版社。
その営業局 局長であり、20年前危機的な状況に陥っていたダイヤモンド社がV字回復果たす過程で、営業面から数々の改革を実行してきた立役者。すごい人。

もう1人は紀伊國屋書店梅田本店百々典孝さん(写真右)。
紀伊國屋書店梅田本店は世界一の売上を記録した時期もある大阪を代表する大型書店。
百々さんはOBOP=OsakaBookOneProjectの発起人。チェーンの枠を超えて大阪中の本屋と問屋が、大阪を舞台にした小説の中からほんまに読んでほしい1冊「大阪ほんま本大賞」を決定。その本を大阪中で売り出し、収益の一部で大阪の子どもたちに本を寄贈するというプロジェクトや、「キノベス!」を立ち上げた方。すごい人。

プロフィール
井上 直(いのうえ ただし)
1971年2月27日生まれ。新卒で証券会社に入社、その後ソフトウェア流通会社を経て、1998年7月にダイヤモンド社に入社。現在、取締役 営業局長 兼 大阪支社長。
百々 典孝(どど のりたか)
1971年2月27日生まれ。1990年(株)紀伊國屋書店入社。梅田本店、札幌本店、本町店などを経て2009年に三度目の梅田本店勤務、様々な店舗、部署を歴任する。2013年 OBOPを取次、書店有志と立ち上げる。

そもそもなぜこの二人が明石に?

 なぜお二人がライツ社に興味を持ったのか、お聞きしてもいいですか?

百々 もともと本をつくる過程って、書店からはあんまり見えないじゃないですか。でも想像することはできる。わりとおっきな出版社がつくる本の制作過程って、想像つくんですよ。

じゃあ、小さい出版社、ミシマ社(※)とかライツ社とかなってくると、想像してる段階で手作り感があるじゃないですか。自分で著者のところに連絡して、印刷業者とか製本会社とも仲良しで、みたいなところとか。

※ミシマ社:2006年11月に設立。「ひとり出版社」「地方出版社」の先駆け。一冊入魂をモットーに、取次を介さず書店と直接取引を行っている。現在は京都オフィス兼直売所として「ミシマ社の本屋さん」も運営。

それを想像したら、すごいアットホームな感じがするっていうか、ベルトコンベヤの上でつくられてないな、みたいな血肉が通ってるイメージがすごくあったんです。で、本を見たときに、ライツ社はたった4人でこれをつくってるのか、と。そういう想像をしますよね。こんな本が売れればいいなって思いますし、もちろんそれが普通に僕が何もしなくても売れていくのを目にして、注目をしてて、会ったら面白い営業マンがいて。

 作り手の顔が透けて見える、ようなことですか。

百々 そうですね。一緒にいつか仕事しようと思ってた出版社の一つ。

 ありがとうございます。それが実現できて大変うれしいです。では、すみません井上さん。

井上 僕は、ヨシダナギさんの作品集

 『HEROES』ですね。

※2018年に紀伊國屋書店新宿本店で『HEROES』の大展開をさせていただきました。https://note.wrl.co.jp/n/n81d829986141

井上 あれを新宿で見たときに、何この写真集と思ってパラパラめくってみたら、女性の裸なのに全然いやらしくなくて、すごいなと思って、すぐこれ買おうと思ったら、12,000円!

 高いと。

井上 買ったあとに、ライツ社って何だって思って。聞いたこともない。ホームページ見たらちっちゃい会社で、こんなちっちゃい会社でも、こんないい写真使って、12,000円お客さんに払ってもらえるものをつくるって、すげえ大変なんだろうなって思いながら。

出版社ってそうだ、電話と机があればできる商売だったんだ、ていう昔よく言われていたことを思い出したんですよ。

 昔はそう言われてたんですね。

井上 うん。とにかく気持ちの強いメンバーさえいれば、一人でも二人でも三人でも四人でも、自分たちの信じるものを本気でつくれば、単価の高いものでも思わず手に取って買ってしまうってことができるんだ、これ、出版の原点だなと。

 ちょっと恐れ多いですけど。

井上 何よりも社名の由来、あれが感動して。まさに出版業たるや。書く力で、真っすぐに、照らすっていうね(※)。

※ライツ社の社名の由来はこちら

百々 WELQ問題とかで、web系のメディアの記事がすごく取り沙汰されてた時期が3年前ぐらいにあったでしょ。

こんなときだからこそ出版業界は間違ったことを伝えちゃいけないねっていうことが、うちの社内もそうだし、業界全体にもそういう機運が高まってたんじゃないかな。それとライツ社の社名がばっちり合ってた。だから、今の時代に、すごいなと思って。

 なんだかタイミングが良かったです。ありがとうございます。

バカ売れの90年代からの直下とV字回復

 では、本題に。まずは「おさらい」として、出版業界にいちばん勢いがあったという「90年代」のことを聞きたいです。僕たちは、そもそもその時代を知らないんです。

なので、まずは井上さんに。ダイヤモンド社に入ったときに「まだまだ改善の余地がある」と感じたとおっしゃっていましたが、そのあたりをお聞きしたいです。

井上 営業が営業の仕事をできてなかったみたいな感じ。

 もう、そもそもの。

井上 うん。そもそも。結局ダイヤモンド社は、古い出版社で、ダイヤモンド社に新卒で入りたいっていう人は、他の出版社もそうだと思うんですけど、基本は編集をやりたい。

 なるほど。

井上 基本的に営業をやりたいです、っていう人があんまりいない。編集上位じゃないけれども、そういう構造があって。悪い意味でのルーティンワークというか、やらされ感が満載な感じが。

 やらされ感。

井上 そんな雰囲気を感じました。だけど、出版業界って、世の中的には遅れているとか言われるんですけど、でも例えば「週刊少年ジャンプ」が毎週月曜日に、その当時って、書店が2万5000店舗ぐらいあって、そこに取次(※)を通して、毎週月曜日、全国どこに行ってもジャンプが置かれてるっていう物流体制ってものすごくて、実は。

※出版業界の卸会社は「取次」と呼ばれ、出版社からの仕入と書店への送品、それに関わる取引代金の請求、回収を行なっています。

しかも世の中的には、1989年にバブルが崩壊して、そこからもう右肩下がりが始まってんのに、その後7年間、出版業界っていうのは右肩上がりで。

 90年代ですね。

井上 ずっと世の中と逆の方向に動いていて、その当時は、不況に強い業種って言われてた

 不況なんて関係ない。それ、初めて聞きました。

井上 山一證券と拓殖銀行がつぶれてるときでも、右肩上がりだったから。

 確かに、データだけ見ていると、なんで世の中の動きとずれてるんだろうって不思議でした。

百々 あのときは、「なんで今このような社会構造になってるのか」っていうのを知ろうと思ったら、本しかなかったんですよね。

井上 本しかない。こんなにインターネットが発達して、個人の発言がSNSを通じて自由に発信できるようなことがまったくなかった世界で、今後、どうなるのかなっていう。

 混乱すればするほど本が売れてた

井上 本屋さんで雑誌とか本を買うっていうのが、いちばんの情報収集源になってたから。だから出版業界はずっと優れた流通システムと書店員さんに支えられて。

 なるほど。それで安泰だと言われていた。

井上 例えば『地球の歩き方』とかも、バブル期に旅行ブーム、イタリアブームが起きたじゃないですか。紀伊國屋の新宿本店だと『地球の歩き方』のイタリア編が、1日に何回も何回も品出ししないと棚からなくなる。「平台が持たなかった」という話を聞いたときは、そんな時代があったんだとビックリしました。

 すごいな。

井上 返品率(※)は今とそんなに変わらないと思うんだけども、より回転してた。出す本、出す本が、ある一定の規模で売れてたので。

※返品率:納品した本のうち、返品された割合。書店で扱われる本の大半は、委託販売(返品条件つき売買)です。一定期間が経ち、本が売れ残った場合は書店さんが自由に本を返品できます。この返品率を下げるのが出版業界の一つの目標でもあります

 となると、さきほどの「営業が営業の仕事をしてない」というのは?

井上 誤解を恐れずに言うと、配本(※)さえできれば、ある程度売れていたのかなと。

※配本:取次が出版社から商品を仕入れたのち、どの書店にどれだけの数を送品するかを決定すること。配本は書店が注文していなくても、各書店の立地や実績に応じて商品を届けることができます。極端に言えば配本を使えば、出版社は書店から注文を集めたりする必要がありません

売れてたし、何よりも業界全体で、雑誌で利益を出して書籍の赤字を埋めるっていう構造だったから。

 雑誌が飛ぶように売れて。その力でもっていた、と。

井上 雑誌によっては、広告はすぐ満稿になって、これ以上入れられない、という状態。

百々 趣味とかファッションとか、雑誌を見るしか選択肢がなかったからです。コミックもそうやけど。

井上 男性だったら「POPEYE」とか、今はなき「Hot-Dog PRESS」とか。

 読んでました。

井上 各ジャンルにもっと雑誌があった。サッカーだったら「サッカーダイジェスト」「サッカーマガジン」「ストライカー」…。

 それ全部読みますもんね。

百々 そう。全部「取りあえず買い」という。

 井上さんがダイヤさんに入られたのは、そのタイミングですか。

井上 98年。中途入社で。

 98年。出版の好景気がちょうど終わったぐらいなんですね。


井上 96年がピークだから、ちょうど下がって2年目。百々さんは、もうちょっと前で、90年。

百々 僕は「すごい売れてた」っていう時期を経験して、そこから下がっていったんですね。

井上 そこからもう、本当に雪崩を打つように雑誌が。だって1兆6000億円あった雑誌市場が今6000億円代だから。1兆円の売り上げが吹っ飛んでるから。

 その落ちていく中で、問題点が見えてきたんですか。例えば営業の仕方だとか。

井上 僕は他業種の営業から中途採用で入ったんだけど、最初に思ったのは、出版社の営業はどうやって書店さんに本を案内してるんだろうってことだった。なぜかっていうと、(書店に見せるものが)新刊の一覧表しかなかった。

 そうなんですね。本がずらっと並んでる。

井上 A4の紙にずらっとタイトルが並んでて、内容紹介がちょろちょろって書いてあるぐらい。1枚に10商品ぐらいかな。それを2、3枚。

 それぐらい刊行点数が多いからっていうこともあってですよね。

井上 多い。あとは編集と営業でコミュニケーションを取る習慣がなかったので、編集から降りてくるものを、営業の誰か担当者が一覧表にしてたんだと思うんだけど。

 そもそも1冊の情報量が少なくて、それが書店さんにも渡っていっていなかった。

井上 そう。あと、どの書店でどんな本が何冊売れてるかっていうデータもほぼなかった。

 そのときは。

井上 何年でしたっけ、紀伊國屋のPubLineって。百々さんが入ったときって、もうありました?

百々 いや、ないない。

井上 多分90年代だと思うんですね。PubLineぐらいしか見るデータがなかったんですよ。

※KINOKUNIYA PubLine:紀伊國屋書店全店のPOSレジで管理されている販売情報を、インターネットを通じて公開しているサービス。データから、展開予想や増刷の手配、読者の性別や年代を分析することができる。導入は1995年

 トリプルウィン(※)やTONETS i(※)もなかった?

井上 もちろん、ないです。

※オープンネットワークWIN:通称トリプルウィン(トリプルウィンプロジェクトから)。取次大手、日販が運営する出版社向けマーケット情報開示システム。売上推移・市場在庫、リアルタイムのPOS売上情報などを提供している。導入は2003年
※TONETS i:取次大手のトーハンが運営する出版社向けの情報ネットワーク。同じく書店の販売実績や在庫データを集約・分析して出版社に提供している。導入は2012年

 じゃあ何が売れているかわからないですね。

井上 PubLineぐらいしか見るデータがなくて、あとは書店さんから回収されるスリップ(※)だけで。でも書店から出版社に回収されるには時差があるから、リアルタイムに何が売れてるのかっていうのもわからないし、やろうと思っても何もできない

※スリップ:本に挟まっている二つ折りの伝票。「短冊」ともいう。購入時に書店員が引き抜き、その枚数で売上を把握する。また、片面が出版社への補充注文に使える伝票となっている。近年はPOSの普及により廃止傾向

 そもそも情報がなかったんですね。

井上 でも逆に、これ手を掛けたら、本は絶対売れるなと思った

 というと。

井上 簡単に言っちゃうと、これチャンスたくさんあるな、と。うちもできてないけど他の出版社だって絶対同じだなって。

 ダイヤモンド社に入社する前の業界と比べてどうでした?

井上 僕、最初が証券会社で、そのあとがパソコンソフトの流通会社、その次にダイヤモンド社に入社して、いわゆる出版社の中で、営業っていう仕事が認められてないなって思って、そこがすごい違和感がありました。メーカーなのに営業がこれだけしかいないんだとかね。

 そういうギャップがあったんですね。

井上 ダイヤモンド社って社員が200人ぐらいで、売上が百数十億の会社で、それなのにアイテム数は書籍だけでも3,000アイテムぐらいあったから、それを営業十数人でやるっていうのはすごく。

 割り算するとおかしい。

井上 それで、これだけの数の新刊が出て、でもどんな内容かはいまいちわからず、何が売れて何が売れてないかっていうデータもわからない中で、真っ暗闇の中でどうやって営業してたんだろうって思ったんですけど、でも、そもそも営業が軽視されてたんだなって。

 じゃあ、まずその関係性を改善するところから。

井上 始めました。

 これはウェブで井上さんのお名前を検索したら上がってくる記事の内容みたいなことが。

井上 そうですね。だからまず、編集と営業。コミュニケーションをとるっていうよりも、編集者が作った本について営業がちゃんと聞かなきゃダメだと。当たり前なんですけどね。ただでさえ本は、どんなに聞いても、装丁が出来上がって本の形にならないと、今ひとつ感じとれないところがある商品だから。

 聞きにいく姿勢が大事だと。

井上 それまではおそらく、編集長と営業の管理職だけで新刊の企画会議とか部数決定の会議とかやってたと思うんだけど。

その会議をやめて、全営業マンと、その時々企画を持ってる編集者が一緒に書籍の検討をする、新刊発行を検討する会議を、やりましょうって言って。

 どんどん声を掛けて実現していったと。

井上 そうですね。

 その結果が、井上さんの講演会の売上推移表を見せてもらいましたけど、ダイヤモンド社の売り上げがグーンッて上がって。他の大きな出版社で売上昨対比が100%を超えてるのなんてなかなか見ないんですけど、96年比(出版業界全体の売上のピーク)からさらに290%増って書いてあって、どういうこっちゃ、と。

井上 96年の書籍売上げが23億で、今この5年間はだいたい60億円ベース。96年は出版点数自体も300点ぐらいあって、今は220から240点ぐらい。

 しかも、点数を絞っている。

井上 結果的に絞られてる。返品率が25%ぐらい(※)。ずっと継続できてる。編集者が一冊一冊手を掛けて作り、営業・プロモーションチームが連携して丁寧に売っていくという良いサイクルが自然に生まれた。特にこの5、6年の間に、営業局内にプロモーション専門の部署が立ち上がり、10年前とは別次元の販促ができています。(現在は「コンテンツマーケティング室」として独立)

※出版業界全体の返品率は約36%

百々 文藝春秋の下山さんっていって、ノンフィクションとか翻訳ものがすごいうまい、もう辞められたんですけど、その人がおっしゃっていたことがあって。

 お名前だけは。

百々 顕著に売上がV字回復してる出版社、ダイヤとトウケイ(東洋経済新報社)の二つを調べていくと、やっぱり井上さんにつながって、トウケイを調べていくと山崎さんにつながるって。

 山崎さん。

百々 今、取締役でね。得てして、おっきい会社、出版社っていうのは、さっきおっしゃられた構図があるんです。編集が営業見下してるし、営業は編集嫌いだしっていうのがスタンダードなんですよ。

で、武器も持たずに営業は飛び出していく、みたいな。で、現場に行くと今度は本の知識としては、本屋さんの方が貯まってるんで、そこでもあんまり相手にしてもらえない。

 つらい感じですね。

百々 なんかね。そんな鬱々となってるところに、この2人(井上さんと山崎さん)がバーン!みたいな。

営業と編集が連携できる体制になって。営業がもっと書店と話して、どういうタイトルがよかったとか、どういう展開をして売れているというのを編集にフィードバックしていく、そして編集もそれを聞きたがる、みたいな。両輪で1冊を売っていく流れを井上さんは生み出したんですよ。

井上 だから、僕が20年くらい前にダイヤモンド社に入って思った「真っ暗闇だけど、逆に見たらチャンスたくさんあるな」っていうのは、今の出版業界に関わる人全員にも言えることだと思うんですよ。ウチもまだまだやりますよ。「出版業界は遅れてる」って言われるなら、今までやってこなかったことをして、手を掛けたら、本は絶対売れるって。

2 「文化度を上げること=来店頻度を上げること」 へ(つづく)

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